范雎とは? わかりやすく解説

はん‐しょ【范雎】

読み方:はんしょ

中国戦国時代秦の宰相初め魏に仕えたが、異心があると疑われて秦に逃れ昭襄王仕えて遠交近攻の策を献じた生没年未詳


范雎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 13:13 UTC 版)

范 雎[1](はん しょ、拼音: Fàn Jū、? - 紀元前255年?)は、中国戦国時代に仕えた政治家は叔。秦の昭襄王に対して遠交近攻策を進言して秦の優勢を決定的なものとした。封地として応城(現在の河南省平頂山市魯山県)を与えられたため、応侯とも称された。


  1. ^ 范睢(はんすい)とも記され、北宋司馬光の『資治通鑑』では、この説を採っている。しかし、銭大昕の『通鑑弁正』では、范雎(はんしょ)が正しいとしている。
  2. ^ 佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』(星海社新書、2018年)252頁。
  3. ^ 『宋大家蘇文定公文抄』巻11, 古事論


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范雎(はん しょ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:42 UTC 版)

達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「范雎(はん しょ)」の解説

秦の宰相。魏で仕官していたが、機密情報漏らしたいわれのない疑いかけられ半死半生となるほどの迫害を受ける。その後、秦に亡命次第重用されるようになり、宰相となった一飯の恩にも睚眦がいさい)の恨みにも必ず報いる人物

※この「范雎(はん しょ)」の解説は、「達人伝-9万里を風に乗り-」の解説の一部です。
「范雎(はん しょ)」を含む「達人伝-9万里を風に乗り-」の記事については、「達人伝-9万里を風に乗り-」の概要を参照ください。

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