女性を解放したデザイナー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:46 UTC 版)
「ココ・シャネル」の記事における「女性を解放したデザイナー」の解説
ココ・シャネルは女性解放を主張したり、フェミニストを自称したりすることなく、早くも1910年代にパンタロン(ズボン)をはじめとし、快適で実用的なツイードやジャージーのスーツ、船乗りや漁師の作業着であったマリニエールなど従来男性のファッションとされていたものを「男装」としてではなく、女性のファッションとして確立したことで、結果的に女性を解放した。女性を物理的にコルセットから解放しただけでなく、コルセットによって強調される胸や臀部の大きさと腰の細さという従来の女らしい「シルエット」、女らしさの概念そのものから解放したのである。1960年代に女性のパンツスタイルを確立したイヴ・サン=ローランのパートナー、ピエール・ベルジェ(フランス語版)は、「シャネルは女性に自由を与え、サン=ローランは権力を与えた」と表現する。これは、非機能的な大きな帽子や顔を隠すために帽子に取り付けるヴェールを廃したこと、透き通るような白い肌がもてはやされた時代に日焼け(日光浴)を流行らせたこと、丈が短く軽いリトル・ブラック・ドレスを制作したこと(しかも喪服の色であった黒をあえて使うことでドレスコードに挑戦したこと)、シャネル自身がいつも短髪であったことなどについても同様である。 また、労働者階級出身で十分な教育を受けなかったにもかかわらず、自力で道を切り開いたセルフ・メイド・ウーマンとして、女性の自立を促す存在でもあった。特にしばしばシャネルの「アリュール(allure、態度・姿勢、身振り)」として言及される、自信に満ちた態度、堂々とした姿は自立したパリジェンヌを象徴し、パリのエレガンスを体現することになった(「アリュール」はシャネル社の香水の商標名にもなっている)。シャネルの伝記作家フランソワ・ボードー(フランス語版)は、シャネルのアリュールとは、要するに「何を着るか」より、「どのように着るか」の方がはるかに重要だというコンセプトの問題だという。つまり、美しく見せようとすることではなく、自然体で堂々としていることが基本であり、この意味で、シャネルは女性のファッションだけでなく、アリュール(心的態度)をも変えたのである。 なお、2011年に女性の経済的・社会的地位向上のための活動を支援することを目的とする「シャネル財団」が設立された。この一環として、これまで過小評価されていた女性アーティストを再評価・紹介する活動も支援している。
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