奥羽越列藩同盟に加盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 02:07 UTC 版)
5月15日、米沢藩中老若林作兵衛、仙台藩玉虫左大夫、鈴木直記が新発田に来訪。溝口伊織、溝口半左衛門が応対。もし同盟に入らないのであれば、事に及ばざるを得ない、という強い圧力に、翌日まで回答を待ってもらうことにした。しかし、ここへきては妙案もなく、翌16日、老候静山の了承を得て、回答書を提出し、盟約書に署名した。17日に藩内に奥羽越列藩同盟加盟が布告されたが、藩内には不服が多く喧々轟々だった。18日、密使井上栄之丞が新発田を発つ。仙台から海路で30日江戸へ着いた。江戸には京都警護を終え、東征軍として江戸に駐屯していた家老速水八弥がいた。井上は列藩同盟加盟を速水に報告。これを受けて速水は6月1日、大総督府参謀へ事情を上申した。米沢、仙台、庄内の圧力に屈し、やむをえず同盟に加盟したが、勤王の志は変わらぬこと。これに対し、総督府からは、さらに報告があるまで江戸の新発田兵は謹慎するには及ばないという返事が来る。
※この「奥羽越列藩同盟に加盟」の解説は、「新発田藩」の解説の一部です。
「奥羽越列藩同盟に加盟」を含む「新発田藩」の記事については、「新発田藩」の概要を参照ください。
- 奥羽越列藩同盟に加盟のページへのリンク