奇襲説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 22:25 UTC 版)
姉川の戦いは朝倉・浅井軍の奇襲であったという説を高澤等は唱えている。6月27日早朝に浅井・朝倉軍は一旦大依山から姿を消した。この時の状況を『信長公記』では「六月廿七日の暁、陣払ひ仕り、罷り退き候と存じ候のところ廿八日未明に三十町ばかりかゝり来なり」と陣払いして退却したと思った浅井・朝倉軍が突然として距離三十町のところに現れた様子を記している。織田軍は敵勢が陣払いしたと勘違いして再び軍勢を横山城の包囲態勢に戻し、織田軍は本陣の背を突かれる形となり両軍陣形を整えず即座に戦いに突入したとする。また姉川の戦いは両軍日時を取り決めた合戦だったとしている。
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