天山キルギス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 06:31 UTC 版)
現在のキルギス人は天山山脈、パミール・アライ方面に居住している人々を指す。この天山キルギスと古代にイェニセイ川流域に割拠したイェニセイ・キルギスとの間に関係性があるのかについて、これまでにさまざまな議論がなされてきた。その中でS・アブラムゾンはこの問題について3つの仮説があると指摘した。 ペルンシュタムの説 - イェニセイ・キルギスが10世紀以上の年月、幾波にもわたる民族移動を経て天山地方に移住してきた。 ビチューリン,ワリハノフ,アリストーフ,マルグランの説 - キルギス人は古代からもともと天山地方に住んでいた。 ペトロフの説 - イルティシュ川にいたキマク・キルギス或いは東部キプチャクがイェニセイ・キルギスのアイデンティティーを受け継いでキルギスの名を冠し、天山地方に移住した。 いずれにせよ、天山キルギスはこの後モンゴル帝国の支配下でモンゴル的要素を受け入れ、中央アジアへ進出後のカザフ・ノガイ的要素、ウズベク、タジクといった中央アジア的要素を受けついで現在のキルギス人形成に至る。 中央アジアのキルギス人は、17世紀頃、近隣の民族の影響を受けてイスラム教に改宗したが、オイラトの立てたジュンガル帝国に服属した。ジュンガルの崩壊後は、最終的にロシア帝国の支配下に入る。 イェニセイ川流域に残ったキルギス人は、現在のハカス人などの祖先となったと考えられている。
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