大陸軍の戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:43 UTC 版)
ジョージ・ワシントンの大陸軍はニュージャージーのモリスタウンに宿営しており、その上層部はイギリス軍が1777年にどのような作戦を立ててくるかうまく掴めていなかった。ワシントンや、大陸軍の北部方面郡を担当しハドソン川防衛の責任があったホレイショ・ゲイツとフィリップ・スカイラーの各将軍の心にあった基本的問題は、ニューヨークにいるハウ軍の動きだった。ケベックのイギリス軍が立てている作戦についてはほとんど分かっていなかった。しかしバーゴインはモントリオールにいる誰もが自分の作戦を知っているとこぼしていた。大陸軍の3人の将軍達はバーゴインの動きの可能性については意見の一致を見ず、大陸会議もバーゴイン軍は海上をニューヨークへ移動する可能性があるという意見に傾いていた。 この判断力の欠如の結果として、またハウ軍がニューヨーク北方に動いた場合、タイコンデロガ砦やモホーク川とハドソン川流域などの各所で供給線が孤立してしまうという事実もあって、その方面への守備隊は著しく増やさなかった。スカイラーは1777年4月に、ピーター・ガンズヴォート大佐の指揮する大型の1個連隊を派遣し、その地域のイギリス軍の動きにたいする防衛策として、モホーク川上流域にあるスタンウィックス砦を再建させようとした。ワシントンはイギリス軍の動きに合わせて北にも南にも動けるようにピークスキルで4個連隊が駐屯するようにも命令を出した。 7月にはニューヨーク戦域全体に大陸軍が配置された。約1,500名の部隊(ガンズヴォート大佐の部隊を含む)がモホーク川流域に配され、約3,000名の部隊がイズラエル・パットナム将軍の指揮でハドソン川流域の高地に置かれ、スカイラー将軍は約4,000名(地元の民兵隊やアーサー・セントクレア指揮下のタイコンデロガ砦守備隊を含む)を指揮した。
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