大統領就任以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 09:17 UTC 版)
「シアカ・スティーブンス」の記事における「大統領就任以降」の解説
1971年3月、スティーブンス暗殺計画が発覚し、バングラ将軍は逮捕され、6月に処刑された。スティーブンスはギニアと同盟して独裁を強化した。前首相アルバート・マルガイは1966年に一党共和制を主張していたが、当時、反マルガイ派であったスティーブンスはマルガイ政権の一党共和制に反対していた。しかし、スティーブンス政権の元でシエラレオネは共和制に移行し、4月21日クリストファー・オコロ・コールに代わり、スティーブンスは大統領に就任。 1976年に大統領に再選され、1978年にスティーブンスは1党共和制による独裁政権をはじめる。しかし、国有化したマランパ鉱山は閉山に追い込まれ、ダイヤモンドの国際価格の下落もあり、経済は急速に悪化した。独裁政権は腐敗の一途をたどり、民衆のデモが続発した。貧困の拡大と政府への不満は、シエラレオネ内戦の原因となった。1985年に大統領候補として再出馬せず、軍人のジョセフ・サイドゥ・モモ将軍がスティーブンスの後継者として大統領になった。1987年3月には、モモに対するスティーブンス派のクーデター計画が失敗した。
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