大統領への道のり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 14:00 UTC 版)
「ナナ・アクフォ=アド」の記事における「大統領への道のり」の解説
1998年10月、アクフォ=アドは2000年の大統領選挙の新愛国党予備選挙に立候補したが、ジョン・アジェクム・クフォーに敗れた。2000年12月に行われた本選挙で、アクフォ=アドはクフォー陣営の取りまとめ役を務め、クフォーの当選に貢献した。クフォー政権下では検事総長や法務相、外務相を歴任した。 2007年に行われた新愛国党の大統領予備選挙では、アクフォ=アドが高い人気を背景に勝利を収めた。翌年の本選挙は、アクフォ=アドと国民民主会議 (NDC) のジョン・アッタ・ミルズ候補による大接戦となった。第一回投票ではアクフォ=アドが49.13%の得票率で首位に立ったが、当選に必要な過半数にわずかに届かず、決選投票が行われることとなった。そこではミルズが僅差でアクフォ=アドを下し、大統領に当選した。 2012年、アクフォ=アドはみたび大統領選挙に立候補した。このときは、ミルズの後継者であるNDCのジョン・ドラマニ・マハマ候補が主要な対抗馬となった。大統領選挙ではマハマが勝利したが、アクフォ=アドはこの結果に異議を唱えた。裁判所の審理はかなり紛糾したが、最終的には最高裁判所が5対4の僅差でマハマ支持の評決を下した。アクフォ=アドは経済の安定と、国際的な信用の利益を考慮して、この評決を受け入れた。 2014年3月、アクフォ=アドは2016年の大統領選挙に向けて、新愛国党に候補者指名を求める意向を表明した。同年10月に行われた同党の予備選挙では、アクフォ=アドが94.35%の得票率で候補者に指名された。2014年には、南アフリカで行われる選挙のイギリス連邦監視団団長を務めた。 2016年の大統領選挙戦では経済に重点を置き、為替相場を安定させ、失業率を下げると公約した 。現職のマハマ候補は、2016年12月9日に敗北宣言を行った。得票率はアクフォ=アドが53.83%、マハマが44.4%であった。
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