大田原氏とは? わかりやすく解説

大田原氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 13:35 UTC 版)

大田原氏(おおたわらし)は武家華族だった日本氏族。古くは「大俵氏」とも書かれた[5]。中世以来下野国大田原を本拠とした豪族で、江戸時代にも大田原藩主家として続き[5]明治維新後、華族の子爵家に列した[6]


  1. ^ 旧大田原藩は現米2528石(表高1万1400石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[13]
  1. ^ 『大田原宗家家譜』等によれば大田原氏の表紋は朧月紋である。なお、同じ那須七騎である大関氏も大関朧月紋を使用しているが、これは大関高増が養子として送り込まれた際に大田原氏から持参したものと考えられている。また、江戸幕府に定紋として届け出た丸に釘抜紋は、旗印からの転用である。
  2. ^ 稲毛田大田原家が表紋として用いている。
  3. ^ 丹党の代表紋。
  4. ^ 商工観光課 (2008年10月16日). “光真寺”. 大田原市. 2009年9月6日閲覧。
    大田原城(大田原氏)歴代城主霊廟”. 光真寺. 2009年9月6日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 日本大百科全書(ニッポニカ)『大田原藩』 - コトバンク
  6. ^ a b c 小田部雄次 2006, p. 329.
  7. ^ a b 新田完三 1984, p. 150.
  8. ^ a b c 日本の城がわかる事典『大田原城』 - コトバンク
  9. ^ 丹党丹治氏宣化天皇皇子の末裔とされる。
  10. ^ 諸系図によれば、資清は実兄で塩谷郡川崎の曹洞宗塩谷山長興寺第三世であった體翁麟道の伝手により越前国永平寺に逃れ、国主朝倉孝景の庇護を受けたと伝わっている。その際、資清が招きに応じて軍略を談じたところ孝景は大層興に入り、この縁がもとで軍勢250騎を貸し与えられ旧領を奪還したという。
  11. ^ この他には烏山藩の1例が存在するが、外様と譜代が入れ替わり入府している。
  12. ^ 新田完三 1984, p. 152.
  13. ^ 浅見雅男 1994, p. 152.
  14. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 280.


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