谷田部藩とは? わかりやすく解説

谷田部藩

読み方:ヤタベハン(yatabehan)

常陸筑波郡谷田部藩名


谷田部藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 02:23 UTC 版)

谷田部藩(やたべはん)は、常陸国筑波郡谷田部の谷田部陣屋(現在の茨城県つくば市谷田部)に藩庁を置いた大坂の陣の後、下野国茂木藩1万石の大名であった細川興元が常陸国で6200石の加増を受け、居所を新領地の谷田部に移転したことにより成立した。細川家は肥後熊本藩主家の分家であり、関東に数少ない外様大名の一つとして幕末・明治維新を迎えた。茂木は藩領の飛び地となっていたが、1871年に藩庁が茂木に移された。こうした事情から、谷田部藩と茂木藩は同一の藩の別名[1][2]という理解もされる。


注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。黒文字は本文内で言及する土地。灰文字はそれ以外。

出典

  1. ^ 茂木藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2022年10月7日閲覧。
  2. ^ 茂木藩”. デジタル大辞泉プラス. 2022年10月7日閲覧。
  3. ^ 鶴崎は忠興の跡を継いだ細川忠利が熊本藩を与えられた時に、熊本藩領として細川宗家に与えられている。
  4. ^ 藤野保・木村礎・村上直編 『藩史大事典 第2巻 関東編』 雄山閣 1988年 ISBN 4-639-10036-1 p.197


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