大橋和夫 (フィギュアスケート選手)とは? わかりやすく解説

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大橋和夫 (フィギュアスケート選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 22:49 UTC 版)

大橋 和夫(おおはし かずお、1933年5月3日 - 1992年2月5日[1])は、現在の東京都文京区出身の男性フィギュアスケートの元選手。 フィギュアスケート審判員。日本スケート連盟理事。パティネ商会創業者。 フィギュアスケート選手の大橋美和子は、長女。立教大学経営学部卒。

経歴

1954年、第22回全日本フィギュアスケートジュニア選手権で優勝する。 1955年、第23回全日本フィギュアスケート選手権で日本人男子選手として4年ぶりに全日本選手権者となる。 1957年、日本代表として西倉幸男杉田秀男上野純子荒木祐子と共に6年ぶりに世界選手権に出場し、15位に終わる。

現役引退後の1959年に、アイススケートリンクの施工管理会社パティネ商会を創業する。

国際審判として活躍し、下記の世界選手権、冬季オリンピック大会の審判員を務めた。

  • 1983年世界選手権 男子シングル、アイスダンス
  • 1984年世界選手権 男子シングル、アイスダンス
  • 1986年世界選手権 アイスダンス
  • 1984年オリンピック
  • 1988年オリンピック 女子シングル

また、伊藤みどりが世界のトップになるまで、「伊藤さんのジャンプは世界一の技術」と他国の審判へアピールをして支援していた[2]

著書

脚注

  1. ^ 『読売新聞』 1992年2月6日 (19)
  2. ^ 「恩師・大橋審判員が5日死去」『日刊スポーツ』 1992年2月7日 (6)



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