小塚崇彦
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小塚 崇彦(こづか たかひこ、ラテン文字:Takahiko Kozuka, 1989年2月27日[1][3] - )は、2000年代から2010年代にかけて活躍した日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。愛知県名古屋市瑞穂区出身。最終学歴は中京大学大学院体育学研究科体育学専攻博士前期課程修了。現在はトヨタ自動車に所属する傍ら、プロフィギュアスケーター・フィギュアスケートデモンストレーターとしてフィギュアスケートを始めとしたスポーツの普及活動を行う。JOCオリンピックムーブメント・環境アンバサダー兼委員。スペシャル・オリンピックス日本ドリームサポーター。一般社団法人日本フィギュアスケーターズ協会代表理事。元選手の経験を生かし、ブレードやシューズなどスケート用具の開発にも取り組む。[1]
- ^ a b c d “ABOUT”. 小塚崇彦オフィシャルサイト. 2019年3月15日閲覧。
- ^ a b c d 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009男子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.17
- ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.37
- ^ a b “フィギュア選手に中傷文 4年間で20通超”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2015年10月15日) 2015年10月18日閲覧。
- ^ 『Cutting Edge』p.43
- ^ a b 『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.47
- ^ 『フィギュアスケートに懸ける人々』p.83
- ^ 『フィギュアスケートに懸ける人々』p.88
- ^ 『Cutting Edge 2007』p.35, p.39
- ^ 『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、p.21
- ^ 『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、p.23
- ^ 荒川静香『フィギュアスケートを100倍楽しく見る方法』p.110
- ^ 引退の小塚 中京大大学院を修了「晴れ晴れとした気持ち」(2016年3月19日)
- ^ “日曜朝の顔に! 大島アナ、4・3から「新報道2001」キャスター就任”. サンケイスポーツ. (2012年10月7日) 2016年3月14日閲覧。
- ^ フィギュア・小塚さんとフジ・大島アナが結婚披露宴(スポーツ報知・2016年6月18日付記事)
- ^ “昨年末離婚の大島由香里「本当に耐えがたいことがいろいろあった」”. サンスポ (2020年10月21日). 2021年6月1日閲覧。
- ^ 日本経済新聞コラム『小塚崇彦「世界選手権ではリンクで熱気を感じたい」』2011年1月3日掲載
- ^ 男気!小塚崇彦さん、親友・真央から引退事前連絡も「プライベートのことなので…」と詳細明かさず(スポーツ報知・2017年4月11日付記事)
- ^ 日本経済新聞コラム『フィギュアスケート小塚崇彦氏(中)「自然」な滑り氷上で自由自在(駆ける魂)』2009年3月10日掲載
- ^ a b c 『Cutting Edge』p.92
- ^ “未来のフィギュア界を担う!世界ジュニアフィギュアスケート選手権とは”. 【SPAIA】スパイア (2016年9月8日). 2020年11月17日閲覧。
- ^ 『フィギュアスケート08-09シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2009年4月、p.45
- ^ 「小塚 SP5位 織田は7位 五輪枠『3』へ着実に」『朝日新聞 夕刊』2009年3月26日、第4版、第3面
- ^ 『フィギュアスケート2010-2011シーズンオフィシャルガイドブック』朝日新聞出版、2010年5月、p.14
- ^ 1人目は、2002年ソルトレイクシティ五輪のSPで4回転トウループ-3回転トウループを成功させた本田武史
- ^ 『フィギュアスケートメモリアルBOOK』コスミック出版、2010年4月、p.49
- ^ [フィギュア]小塚、右足故障で全公演欠場…スターズ・オン・アイス
- ^ 無良が初優勝、2位の小塚は現役続行を明言(スポニチ)
- ^ 高橋大輔 膝の故障で世界選手権欠場「悩みましたが…」(スポニチ)
- ^ Takahiko Kozuka BLOG 世界選手権(2014年3月5日)
- ^ 小塚は6位、準備期間3週間もシーズンベスト(スポニチ)
- ^ 小塚 予定より長かった今季「最後まで引き延ばされた」(スポニチ)
- ^ フィギュア小塚崇彦引退も 今夏に決断(日刊スポーツ)
- ^ 小塚崇彦「人生上初めて」左足の負傷で中国杯欠場
- ^ “最高の選手、指導者になれたはず……。至極のスケーティング、小塚崇彦の引退。(Number Web・2016年3月18日記事)”. 2020年1月4日閲覧。
- ^ “「フィギュアスケートに恩返しを」小塚崇彦が語る、新たな出発の決意。(松原孝臣)”. Number Web - ナンバー. 2020年1月4日閲覧。
- ^ “『プリンスアイスワールド 東京公演』出演決定 – 小塚崇彦オフィシャルサイト”. 2020年1月4日閲覧。
- ^ “元フィギュアスケート選手小塚崇彦、86/BRZレースに挑戦!”. jp.motorsport.com. 2020年1月4日閲覧。
- ^ 小塚崇彦の“考えるドライビング”デビュー戦は苦戦も「積み重ねて次へ」 SportsNAVI 2018年8月21日
- ^ 日本ラウンド招致に向けた『WRC招致応援団』結成。フィギュアスケーターの小塚崇彦さんたち就任 auto sport web 2018年8月22日
- ^ 「選手のために」と小塚崇彦が開発、フィギュア史を変える国産ブレード。(Number Web・2018年4月29日記事)
- ^ 東日本大震災の影響により開催中止。
- ^ 『FIGURE SKATING BEST SCENE』p46
- ^ テレビ朝日 フィギュア 2009-2010 出場スケーターより
- ^ 『男子シングル読本』pp.14-15
- ^ 『Cutting Edge 2008 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年12月、p.64
- ^ 斎藤貴子編『フィギュアスケート07-08シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2008年3月、p.28
- ^ 『Cutting Edge 2007 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年1月、p.87
- ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.201
- ^ a b “愛知県スポーツ顕彰(平成20年度から24年度)”. 愛知県 (2013年12月20日). 2018年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
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