大槻憲二
大槻憲二
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:59 UTC 版)
健行の友人。早稲田大学英文科を卒業後、文芸評論のかたわら心理学を研究し、「東京精神分析学研究所」を創設した。大槻は、フロイトの翻訳をし、江戸川乱歩や高橋鐡が参加した「精神分析研究会」も主宰した。ちなみに1941年(昭和16年)9月、当時16歳の三島は大槻憲二について、友人の東文彦に宛てた書簡の中で、「大槻憲吉(母の亡兄の友だちださうですが)といふ人の『精神分析読本』をよみ、やはり下らないと思ひました。精神分析は飽きました」と記している(「憲吉」は三島の誤記)。
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