外国人力士として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:20 UTC 版)
旭鷲山と共に、日馬富士や時天空などといったモンゴル出身の力士たちから慕われている。朝青龍からも「アニキ」と呼ばれる。2012年5月場所での初優勝パレードの際には、白鵬が旗手を進んで買って出た。優勝パレードのオープンカーには、元の師匠である2代大島も同乗した。白鵬が2014年11月場所で大鵬と並ぶ32回目の優勝を達成した際にはパレードの旗手を務めた。現役最後の場所となった2015年7月場所では、その場所で優勝した白鵬の希望でパレードの旗手を務めた。 モンゴルは1990年まで社会主義国であったため来日当初の旭天鵬は日本に関する知識に乏しく「サムライがチョンマゲを結って刀を差している国だと思っていた」という。その頃は自動販売機を珍しく思い、ジュースを買う時はコンビニに行かず自動販売機で買うことが楽しみであったという。 引退発表前日に「(ところが)ぎっちょんちょんかもしれないよ」という言い回しで明言を避けたことについて、日本語が日本人以上にうまいと話題になったこともある。また、現在の妻と知り合った際には大阪弁で流暢にコミュニケーションを取っていたため、本格的に付き合うまでモンゴル人だと分からなかったと言われている。
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