国内供給回復後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 01:02 UTC 版)
1994年(平成6年)6月に入り、沖縄県産の早場米が出回るようになって徐々に事態は沈静化した。1994年は猛暑と渇水となり、去年の冷夏から一転して全国的に豊作が伝えられ、米騒動は完全に収束した。 これら一連の食騒動は、同じく1993年のナタ・デ・ココブームや、バブル景気の際のボジョレー・ヌーヴォーブームなどと並んで、日本の食料政策や国際的モラルに大きな禍根を残すことになった。 また、それまで作付面積の多かったササニシキが冷害に弱いという欠点が露呈し、障害型冷害に対する耐冷性が「極強」であるひとめぼれやコシヒカリをはじめとする冷害に強い品種への作付転換が進んだ。
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