いずみ‐りゅう〔いづみリウ〕【▽和泉流】
和泉流
和泉流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:36 UTC 版)
詳細は「和泉流」を参照 和泉流は、江戸時代初頭に京都の素人出身の職業狂言師である手猿楽師(てさるがくし)として禁裏御用を務めつつ、尾張藩主徳川義直に召し抱えられていた七世山脇和泉守元宜が、同輩の三宅藤九郞家、野村又三郞家を傘下に収めて創流した流派である。宗家は山脇和泉家で、一応の家元制度を取ってはいたが、三派合同で流儀を形成したという過去の経緯もあり、近世を通じて家元の力は弱かった。特に三宅藤九郞家と野村又三郞家には和泉流における狂言台本である六義(りくぎ)を独自に持つことができる特権があり、そうした面からも一定の独自性が保たれてきた。 現在和泉流は、名古屋を本拠とする野村又三郞家(いわゆる野村派)と狂言共同社(いわゆる名古屋派)、そして東京を本拠とする野村萬藏家・野村万作家・三宅右近家(いわゆる三宅派)の3派に大別され、台本もそれぞれ異なる。 過去に和泉流から人間国宝に認定されたのは六世野村萬藏、九世三宅藤九郞、七世野村萬藏(野村萬)、二世野村万作の4名。野村萬は2008年には文化功労者に選ばれている。
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