和宮替え玉説の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 17:39 UTC 版)
作者は小説として本作品を書いているが、あとがきで和宮替え玉説の真実性を改めて主張した。その骨子は、 高田村の新倉家ゆかりの人から替え玉説を聞いた。 勝海舟『氷川清話』に、和宮が庭へ降りる夫徳川家茂の草履をぴょんと飛び降りて直したとあるが、足が不自由であったという京都時代の記録と矛盾する(ただしのちに『氷川清話』の信憑性自体は否定する)。 『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』によると、和宮の足に異常がないのに対し、左手首が発見されなかった。肖像画はいずれも左手首を描いていないので、手首がなかった可能性は高いが、それでは京都でやったことになっている茶道の稽古もできない。 和宮の遺骸の遺髪と、家茂の内棺に納められた遺髪が一致しない。 である。作者はNHKテレビ『歴史への招待』にも出演し、日記の文体の変化など別の論拠を加えて自説を主張したため、歴史学者から反論を受けた。
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