同性愛の学説のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 01:09 UTC 版)
「リヒャルト・フォン・クラフト=エビング」の記事における「同性愛の学説のその後」の解説
しかし、クラフト=エビングの最終結論は、長い間忘れられた。その理由の一つは、ジークムント・フロイトの理論(精神分析)が同性愛を「心理学的な問題」と見なす人々(これが当時の主流見解であった)の関心を引き寄せたためであり、もう一つにはクラフト=エビングが神聖性(sanstity)と殉教への志向をヒステリーやマゾヒズムと関連付けた(加えて彼が同性愛の邪悪さや倒錯性を否定した)ことで、オーストリアのカトリック教会の敵意を買ったためである。 後になってクラフト=エビングの理論は、心の研究の専門家たちを導いて同じ結論に到達させ、また精神医学や心理学によるよりも、むしろ外科手術によって修正可能な別の性的変異(differentiation)としてのトランスジェンダーやトランスセクシュアルの研究へと導いた。 現代の精神医学は、同性愛を精神病理とは見なしていないことに注意すべきである(このような見方は、クラフト=エビングが最初に提唱したものであった)。近代精神医学や近代精神分析学が登場して以降、人間の性愛や性行動の類型化が始まり、同性愛も異常性愛に分類された。それまでキリスト教圏では宗教的理由で同性愛を罪としてきたが、近代以降は、医学的にも異常とされ差別された。日本では元々同性愛を罪や異常とみなす考えはなかったが、近代以降、キリスト教と西欧精神医学の流入で、急速に異端視されるようになる。そのような精神医学界に医学的立場から最初に異を唱えたのはクラフト=エビングであり、後年は、同性愛者らの運動もあり、同性愛は異常性愛から完全に除外された。
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