原料米
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:35 UTC 版)
1910年に朝鮮在来種のターベーを用いて日本で醸造試験が行われたが、米質が硬く酒母での溶解糖化が鈍く日本酒の酒米としては適性が低いと評価されている。これと前後して優良品種の栽培や改良が進められ、1918年には「穀良都」や「早神力」などについては備前米などと遜色がないという高い評価を受けた。1921年から全羅南道などで品質の優れた「雄町」が栽培されたが、収量が少ない点が嫌われ、特に保護栽培された珍島郡などを除いて1930年代には「穀良都」や「多摩錦」、「銀坊主」などに取って代わられている。また、江原道や咸鏡南道、咸鏡北道など朝鮮半島北部では「陸羽132号」が広く栽培されていた。 これらの酒米は朝鮮半島で使用されるだけでなく、大正半ばから灘五郷や中国地方、九州地方、昭和に入ると関東地方や東北地方なども含めた日本全国で使用されるようになり、日本への移出量は朝鮮半島南部産の酒米だけでも毎年6~10万石(10,823~18,039キロリットル)に上っている。朝鮮産の「雄町」などを使用して全国清酒品評会に入賞する酒も出るなど、評価は高かった。第二次世界大戦後も日本への輸出は行われ、1960年代には蓬萊米やカリフォルニア米のような特有の匂いもほぼなく準内地米としては最も良好とされている。一方で、「穀良都」や「雄町」などの酒造好適米の生産は済州島を除いてほぼ途絶えてしまっている
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