原エラム
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原エラム期(げんエラムき、英: Proto-Elamite period)とは、スーサ(後にエラムの首都となる)がイラン高原の文化から影響を受け始めた、紀元前3200年から紀元前2700年までの時代である。考古学の用語では、これはBanesh期後期に相当する。この文明はイラン最古であると認識されており、およそ紀元前3500年に始まった世界最古のシュメール文明と隣接し、ほとんど同時期に始まった。
- ^ “Ancient Iranian Art and Archaeology”. 2007年8月27日閲覧。
- ^ David McAlpin: "Linguistic prehistory: the Dravidian situation", in Madhav M. Deshpande and Peter Edwin Hook: Aryan and Non-Aryan in India, p.175-189
原エラム文字
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最初のイラン固有の文字体系は原エラム文字と呼ばれており、長く(仮説上の)固有の文字体系であるエラム文字の前身であると考えられていた。原エラム文字はエラム線文字(英語版)(英: Linear Elamite)と同様、大部分が未解読である。現時点では、2つの文字体系の間に関係があると仮定することは意味のない憶測である。 少数の原エラム記号は明らかに少し古いメソポタミアの原楔形文字(ウルク期後期)のタブレットからの借用であるか、もしくはおそらく共通の起源を持っている。原楔形文字は視覚的な階層で書かれるが、原エラム文字は行内スタイルで書かれる。物体の後に続く数値記号はその数を表し、いくつかの非数字記号はその記号が表現する物体をかたどったものであるが、大多数は抽象的である。 原エラム文字は紀元前3000年頃(おそらくメソポタミアのウルク3期もしくはジェムデト・ナスル期(英語版)と同時期)一時的に使われた。一方、エラム線文字は同様に紀元前3千年紀の最後の4半千年紀に、一時的に使われていた時期があったことが証明された。 原エラム文字が使われていた地理的な範囲は非常に広く、西のスーサから、東のテペ・ヤハヤー(英語版)まで、そしておそらくそれ以上に延びていた。原エラム文字はインダス文字に非常によく似ているとされてきた。
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