南部再建の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/21 05:09 UTC 版)
「タデウス・スティーブンス」の記事における「南部再建の問題」の解説
議会ではいかに戦後のアメリカ合衆国を再構築するかが議論された。解放奴隷の待遇と元アメリカ連合国の処し方が決まっていないままだった。スティーブンスは、必要なものは「南部の制度、慣習、仕来りの急進的な再構成だ」と述べた。スティーブンスやサムナーなど急進派は、南部州が憲法に保障される権利の無い征服された地方として扱われるべきと論じた。一方リンカーンは州ではなく個人の集まりが反乱を起こしたのだと語った。1864年7月、スティーブンスはリンカーンにウェイド・デイビス法への署名を迫った。この法では州が再加入を認められるためには、少なくとも半数以上の戦前有権者が忠誠の誓いに署名することを求めていた。より寛容な10%計画を推奨していたリンカーンはその法案を握りつぶした。 スティーブンスは、共和党とタカ派民主党の連衡である全国統一党の集会で、リンカーンを支持することを躊躇った。リンカーンの副大統領候補として現職のハンニバル・ハムリンを好んだが、州の代議員団は政権の好む候補であるアンドリュー・ジョンソンに州の票を投じることにした。ジョンソンはテネシー州の軍政府長官であり、テネシー州選出アメリカ合衆国上院議員と選挙で選ばれたテネシー州知事を務めたタカ派民主党員だった。スティーブンスはジョンソンの指名を嫌悪し、「忌々しい反逆者の地域に降りていくこと無しに、副大統領の指名を得ようというのか」と不平を漏らしていた。スティーブンスはリンカーンとジョンソンの組み合わせについて選挙応援を行った。リンカーンは再選され、スティーブンスもさらに1期下院議員の席を確保した。1865年1月、リンカーンがアメリカ連合国の指導者たちと和平会議を開こうとしていることを議会が知ると、怒ったスティーブンスは、もしアメリカの選民がもう一度投票を許されるならば、リンカーンの代わりにベンジャミン・バトラー将軍を選ぶことになるだろうと宣言した。
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