南武鉄道と合併、国有化へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 07:16 UTC 版)
「五日市鉄道」の記事における「南武鉄道と合併、国有化へ」の解説
日中戦争が開戦し戦時体制のなか陸上交通事業調整法が1938年(昭和13年)8月に施行された。五日市鉄道は輸送の円滑化を図るためとして南武鉄道と合併することになり、1940年(昭和15年)4月18日に合併契約を締結しこれは5月7日に双方の株主総会において承認されて5月17日に合併認可申請書を提出した。そして8月30日認可を受け9月1日実施し南武鉄道五日市線となった。旧五日市鉄道従業員は引継がれ、五日市鉄道は解散した。 その後戦争の激化に伴い南武鉄道は青梅電気鉄道とともに石灰石、セメント輸送の重要性から国に買収されることになり(詳しくは戦時買収私鉄を参照)1944年(昭和19年)4月1日に国有鉄道五日市線となった。しかし並行した立川駅 - 拝島駅間については旧青梅電気鉄道は複線化工事中で沿線には軍事上重要な施設があったことから残り旧五日市鉄道線は不要不急線として休止となった。軌条は撤去され福井県の金津駅-芦原駅間に転用された。なお西立川駅から分岐して南武線に連絡するルート上にある立川駅-武蔵上野原駅間は撤去されず貨物列車直通に使用され青梅線の一部となった。
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