南北戦争, 1861-1865年
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「サスケハナ (蒸気フリゲート)」の記事における「南北戦争, 1861-1865年」の解説
サスケハナは北軍の艦として大西洋封鎖艦隊に編入され行動、ハンプトン・ローズに向かった。8月後半、サスケハナは陸海共同作戦であるハッテラス入り江砲台の戦いに参加し2つの砦の占領に成功した。9月には英国のスクーナーを2隻、南軍のスクーナーも2隻拿捕した。これら4隻は禁制品を満載していた。 10月後半、サスケハナはサミュエル・デュポン代将が指揮する、サウスカロライナ遠征作戦に参加した。11月7日にはポート・ロイヤル・サウンド、9日にはビューフォートを占領し、ブロード川河口の封鎖を完了した。こららの作戦は、後の南大西洋封鎖艦隊に重要な基地を提供することになる。サスケハナは次の春までこの重要な艦隊に留まり、主にチャールストンの封鎖に従事した。1862年4月3日には、バハマから封鎖をすり抜けようとした英国のスクーナーを拿捕している。 4月29日、サスケハナは北大西洋封鎖艦隊を強化するため、ハンプトン・ローズに向かい、ジョージ・マクレラン陸軍少将のリッチモンド侵攻作戦のための可能な限りの支援を行うよう命令される。その地域の北軍艦艇は南部海軍の装甲艦バージニアの脅威を受けていた。サスケハナは僚艦4隻と共に、エイブラハム・リンカーン大統領の命令の下、5月8日にバージニア州セウェル岬の南軍の砲台を砲撃した。5月10日に北軍はノーフォークの占領に成功。これにより動きの取れなくなったバージニアは、捕獲を避けるべく1862年5月11日の朝に自沈し、ハンプトン・ローズ地域の北軍艦艇への脅威は取り除かれた。 5月後半、サスケハナはメキシコ湾封鎖艦隊に編入され、司令官デヴィッド・ファラガット少将に命令を届けることとなった。途中6月11日、南部海軍のスクーナーを拿捕しフロリダ州キーウェストに送っている。6月29日、武器・弾薬を満載してモービル湾に進入しようとした英国の蒸気船を、僚艦とともに阻止。1863年春、ニューヨークに戻り修理を受けるよう命令されるまで、メキシコ湾での作戦に従事した。 サスケハナは1864年7月20日に復帰、北大西洋封鎖艦隊に編入され、1864年のクリスマスにはノースカロライナの第一次フィッシャー砦の戦いに参加。続いて、1865年2月中旬には第二次フィッシャー砦の戦いに勝利し、南軍の最後の港であるウィルミントンに迫った。この間、サスケハナはシルバナス・ゴードン(Sylvanus Godon)少将の指揮下にあった。
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