幣原外交
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幣原外交(しではらがいこう)は、1920年代から1930年代にかけての戦間期に、幣原喜重郎が憲政会(後に立憲民政党)政権の内閣の外務大臣に就任して行なった武力を用いない対中融和外交をいう。
- ^ 日本外交文書デジタルアーカイブ 大正15年(1926年)第2冊下巻
- ^ 岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』314頁
- ^ F.S.G. Piggott, Broken thread : an autobiography, Gale and Polden, 1950
- ^ John Van Antwerp McMurray, How the Peace Was Lost: The 1935 Memorandum "Developments Affecting American Policy in the Far East", Hoover Archival Documentaries
- ^ Frederick Moore, With Japan's Leaders: An Intimate Record of Fourteen Years as Counsellor to the Japanese Government, Ending December 7, 1941, Scribner, 1942
- ^ a b c d 中西輝政「中華文明の本能を見誤った幣原喜重郎こそA級戦犯」『歴史の嘘を見破るー日中近現代史の争点35』 文春新書 2006年
- ^ V. A. G. R. Bulwer-Lytton, et al, The report of the Commission of Enquiry into the Sino-Japanese Conflict, Hansard, Nov.1932
協調外交
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外交政策では加藤高明内閣でも外務大臣を務めた幣原喜重郎を起用し幣原外交と呼ばれる対中国の関係改善及びアメリカ、イギリスを重視する協調外交を推進した。1930年にはロンドン海軍軍縮条約に全権団を派遣し、海軍軍令部や野党政友会の反対もあったがこれを押し切り条約を締結した。枢密院での条約批准は難航したものの元老西園寺公望の後押しを受けこれを切り抜けた。
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