北勢鉄道モハニ50形電車
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北勢鉄道モハニ50形電車(ほくせいてつどうモハニ50がたでんしゃ)は北勢鉄道(現在の三岐鉄道北勢線)がその電化にあたり新造した、旅客・荷物合造電車である。
- ^ 後の近鉄湯の山線・内部線・八王子線に相当する、四日市地区の762 mm軌間路線群を総称。
- ^ 端子電圧300 V時定格出力25 kW、1954年10月の北勢線、および1956年12月の三重線、の2回に分けて実施された架線電圧の昇圧後は端子電圧375 V時定格出力28 kW。戦後型は同級の東洋電機製造TDK-21BあるいはTDK-586-Aが装着された。
- ^ この電動機の採用により、電動車1両で最大4両の付随車を牽引することが可能となった。
- ^ 日本国内に存在した762 mm軌間の軽便鉄道で間接制御器による総括制御が導入されたのは、1949年電化の下津井電鉄線が最初であったから、設計当時としては通常の対応であった。また、先行する四日市鉄道や松阪電気鉄道も同様の運用形態を採っており、先行事例にならったとも言える。
- ^ 機回し作業に伴う入れ替え要員の削減、列車折り返し時間の短縮、機回し線の無い駅での折り返し運転の実現による機動的なダイヤ設定、それに複数の電動車を連結運転する際の乗務員削減、と総括制御化には多大なメリットが存在する。
- ^ メーカー側形式名。C形は路面電車や軽便電車用に割り当てられた形式名で、当時の同社が発行していたカタログで確認される範囲では、心皿荷重上限値(9/12/14 t)ごとにC-9・12・14の3種が提供されていた。ただし、製造時期により、前期はBrill 27GE・27E、後期はボールドウィンL・R形と2系統の台車を模倣しており、これらは製品ラインナップとしては同一シリーズ扱いではあったが、その本質においては全くの別物であった。なお、C-9は先行して近隣の松阪電気鉄道で採用されていたが、こちらはBrill 27E系の設計で、本形式のボールドウィンR形模倣品とは側枠形状、特にペデスタル周辺が大きく異なる。
- ^ 三重線やピン・リンク式連結器へ変更後の松坂線は高さ350 mmであったため、それらの路線と北勢線の間での車両の転籍時には必ず連結器の高さを変更せねばならなかった。なお、これは近鉄合併後の近代化時に450 mmへ引き上げられ、当時近鉄に存在した特殊狭軌線各線間での規格統一が図られている。
- ^ ただしモニ225のみは、1967年の事故で荷物室寄り妻面を破損し、その部分だけノー・シル、ノー・ヘッダーの平滑な外板にHゴム支持の2枚窓といういささかアンバランスな姿で復旧されている。
- ^ 出力3.5 kVAの東洋電機製造TDK-306-7Aが搭載された。
- ^ ただし、旧モニ221 - モニ224に搭載されたものとは形態が多少異なる。
- ^ ここにはATS設置時に、速度照査に必要な論理回路などの保安機器が搭載された。
- ^ これにより111D6D1と戸袋窓のない変則配置となった。111の部分が旧荷物室部分であり、3枚の窓がやや太い窓柱を挟んで並べられていることにかつての面影を残している。
- ^ 枕ばねは板ばねのまま残されたが、その両端を支えるリンク機構を改良し、上揺枕を左右に延伸、側受の位置を車体幅一杯まで拡幅することで揺動周期を延ばして揺れを抑制する改造が実施された。
- ^ パステルカラー車両さよならイベントを開催いたします。 - 四日市あすなろう鉄道プレスリリース(平成30年8月20日発表)2018年9月2日閲覧)
- ^ a b c “木造電車の屋根張り替え準備に汗 北勢線車両展示、いなべの市民グループ 三重”. 伊勢新聞. 2024年6月22日閲覧。
- 1 北勢鉄道モハニ50形電車とは
- 2 北勢鉄道モハニ50形電車の概要
- 3 運用
- 4 保存車
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