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下津井電鉄線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/04 12:04 UTC 版)

下津井電鉄
路線総延長 21.0 km
軌間 762 mm
電圧 600 V 架空電車線方式直流
最大勾配 25 パーミル
STR
JR西宇野線
exKBHFa BHF
0.0 茶屋町駅
exSTR ABZlf
JR西:宇野線→
exSTR STR
↓JR西:瀬戸大橋線
exBHF LUECKE
2.0 天城駅
exWBRÜCKE
倉敷川
exBHF
2.4 藤戸駅
exBHF
4.4 林駅
exBHF
6.9 福田駅
exBHF
10.8 稗田駅
exBHF
12.2 柳田駅
exBHF
13.1 児島小川駅
exSTR
↑1972年廃止区間
exBHF LUECKE
14.5 児島駅 -1987
exSTR BHF
児島駅
exBHF STR
14.7 児島駅 1987-廃止まで
exSTR STR
↓1991年廃止区間
exBHF STR
15.8 備前赤崎駅
exBHF STR
16.3 阿津駅
STRrg xKRZu STRrf
TUNNELa exBHF
17.6 琴海駅
tSTR exTUNNELa
tSTRlf xtKRZt TUNNELru
JR四国:瀬戸大橋線→
瀬戸中央自動車道
exTUNNELe
exBHF
18.5 鷲羽山駅
exBHF
19.0 東下津井駅
exSTRrg exABZrf
exKDSTe exKBHFe
21.0 下津井駅
BOOT
東下津井-下津井間を走るモハ1001(1985年)

下津井電鉄線(しもついでんてつせん)は、かつて岡山県都窪郡茶屋町(現:倉敷市)の茶屋町駅と倉敷市の下津井駅とを結んでいた下津井電鉄鉄道路線である。

モータリゼーションの進行による乗客の減少のために、1972年4月1日付で茶屋町 - 児島間14.5kmが廃止され、また1991年1月1日付で児島から下津井の間が廃止された。これにより、下津井電鉄は鉄道事業から撤退したが、企業名としての「下津井電鉄」の名称は鉄道事業撤退後も使用されている。


蒸気機関車

  1. ^ 実際には納車されなかったが、CTS-占領軍民間運輸局への申請が下津井電鉄に許可されていたたま、書類上は一旦同社籍となり、1950年1月25日に王子製紙(当初の納車先は王子軽便鉄道で、後に王子製紙春日井工場へ)に対して譲渡売却を行った旨の届出を提出している。

客車

  1. ^ 1923年7月にホロハ1から型式変更 1919年に発電機・蓄電池取付も1923年には撤去
  2. ^ a b 1954年1月に電動車から直流電源による点灯へ変更
  3. ^ 1919年に発電機・蓄電池取付、1954年1月に電動車から直流電源による点灯へ変更

ガソリンカー - 代燃動車

  1. ^ 1919年12月に型式変更、発電機・蓄電池取付
  2. ^ 1919年12月にホハ8からホハ7、1924年2月にホハフ4、1937年にホハ7に1954年1月に電動車から直流電源による点灯へ改造、さらに加藤型のホハフ7の廃車後の1956年にホハフと再三形式変更を繰り返した。

電化と気動車改造電車導入

  1. ^ 等級廃止までは2・3等の合造客車、1925年にホロハ4からホハ11、1951年3月にホロハIVからホハフ7に形式変更、1951年に電動車から直流電源による点灯へ改造されている。

新造電車導入

  1. ^ a b c 合造車時代はV4.6Vで4窓が2等
  2. ^ 赤穂鉄道時代のホハ50、1956年8月にホハ30から形式変更
  3. ^ 赤穂鉄道時代のホハ54、1952年3月にホハ32から形式変更

栗原鉄道からの車両譲受

  1. ^ a b c d 1932年2月16日に老朽化と出力不足のため40PSのA型に交換
  2. ^ 廃車後、カハ1とカハ3は台枠・車体を背中あわせにして電車クハ9に再生された。
  3. ^ 井笠鉄道に譲渡され客車第14号形 ジ13(後年はハ18)となった。
  4. ^ 廃車後、カハ1とカハ3は台枠・車体を背中あわせにして電車クハ9に再生された。
  5. ^ 1943年1月19日に鮮魚台に木炭ガス発生装置を取付け代燃動車として電化まで運行された。
  6. ^ 1940年1月18日認可でカハ51に、1942年1月22日認可でカハ53・54に、1942年3月21日認可でカハ55木炭ガス発生装置をそれぞれ取付け、代燃動車として改造され運行された。
[ヘルプ]
  1. ^ 2代目社長となった永山久吉は、国会議員を務めるなど多忙であった初代社長の白川友一に代わって会社設立当時より下津井鉄道の事業全般の運営を担当しており、以後の歴代社長には彼の一族が就任した。
  2. ^ 初代社長となった白川友一は丸亀出身の実業家・政治家で、25年の在任期間中無報酬であったとされる。また、1950年の電化時にも丸亀側関係者の伝手で琴平参宮電鉄から電化に必要な機器や架線などを譲渡させており、丸亀側出資者達が下津井 - 丸亀航路の存亡に対して強い危機感を抱き、その維持のために下津井鉄道→下津井電鉄の存続に注力していたことが見て取れる。なお、白川は国会議員として軽便鉄道補助法の改正による補助金給付期間の延長にも関与しており、その面でも厳しい下津井鉄道の財政を支援した。
  3. ^ 両備鉄道コロハ1形→鉄道省ケホハ220形→赤穂鉄道ホハ50形→ホハ30形。オープンデッキとモニター屋根を備える古典的な木造2軸ボギー客車で、下津井の既存客車と同様、端梁に左右2つのバッファを備えるリンク式連結器を備えていて改造の必要がなかったことから譲受されたものと見られている。
  4. ^ 営業係数も急激に悪化し、1960年代後半には100を越え始め、部分廃止を実施した1972年には171まで悪化した。
  5. ^ これにより営業係数は劇的に改善され、一時は90台まで回復した。
  6. ^ 当初、7両が残されたが、これは新造制御車のクハ23をワンマン運転用の両運転台式電動車に改造するまでの間の単行運転用として、既存の両運転台式電動車であるモハ110が残されていたためであり、クハ23がモハ1001として改造完了後は、モハ110は長期休車からそのまま1977年に廃車となっている。
  7. ^ この時期の営業係数は部分廃止直前をも上回る199(1988年度実績)を記録しているが、下津井電鉄自体の売上高に占める割合はわずか2 - 3%前後と微少で、当時岡山 - 児島間の旅客輸送を事実上独占し売上高の2/3を占めていた路線バス事業の利益で赤字補填が可能な規模であったため、存続が許されていた。
  8. ^ 日本に輸入された最後のクラウス製蒸気機関車は1914年3月完成の塩原軌道6であった。
  9. ^ 代燃炉の燃料である木炭も入手が困難となり、後述するように自社での工場建設を強いられた。
  10. ^ その構造的な特徴や外観から、明らかにオーレンシュタイン・ウント・コッペル社製機関車をデッドコピーしたと考えられる車両で、メーカーでは1948年7月に完成した。このことから、電化計画立案直前に発注され、電化計画が持ち上がったことで急遽中止となったことがわかる。
  11. ^ 下津井電鉄に発注を取り消された後、この機関車は同型機 (No.7) を購入していた王子製紙苫小牧工場専用鉄道へ引き取られて同社No.8となり、さらに同専用鉄道の廃止を目前に控えた1950年にNo.7と共に日本車輌製造で1,067mm軌間用に改造の上で同社春日井工場へ移動、そこで入れ替え機として使用された。
  12. ^ 近隣の鞆や井笠も同時期に釜石製鉄所より余剰蒸気機関車を購入している。
  13. ^ Hanomag:正式名称はハノーファー機械製作所 (Hannoversche Maschinenbau A.-G.) で、日本ではハノーヴァあるいはハノーファーなどの名で呼ばれることが多い。
  14. ^ 赤穂鉄道時代のホハ52、1952年3月にホハ31から形式変更
  15. ^ ジ1形1・2。1927年製。
  16. ^ ウォーケシャ6MS。縦型6気筒 排気量315Cuin≒約5,160cc 公称出力41.78kW≒約56馬力/1,000rpm 定格出力約45馬力。
  17. ^ 縦型6気筒 排気量381Cuin≒約6,240cc 公称出力73kW≒約97馬力 定格出力約78馬力。
  18. ^ 現在のJR吉備・津山線、および中鉄バスの前身。
  19. ^ ウォーケシャ6RB。縦型6気筒 排気量677Cuin≒約11,100cc 定格出力85馬力。
  20. ^ Waukesha Motor Co., 現ドレッサー社ウォーケシャエンジンディビジョン (Waukesha Engine Division. Dresser,Inc.)。
  21. ^ 本鉄道の電力供給は電化以来全線廃止まで、下津井駅に設置された変電施設によって賄われたが、ここには日本国内で地方鉄道用として現役で使用されていたものとしては確認されている限りでは最後の1台となる「回転式変流機」(定格出力150kW)がシリコン整流機の導入される1987年11月まで主用され続け、ガラス槽水銀整流機(定格出力160kW)も同年まで残されていた。ただし、熊本市交通局大江変電所に設置されていたゼネラル・エレクトリック社製回転式変流機1台は2007年11月中旬まで予備扱いながら現役だったほか、動態保存として明治村に北陸鉄道より寄贈された1台が現存している)。
  22. ^ 額面上は一見気動車時代の約1.5倍となるが、連続定格出力を示す内燃機関とは異なり1時間定格で示されるため、単純比較する場合は約1割減の108馬力として計算する必要がある。ただし、電動機の場合は短時間のピーク出力は絶縁部材の耐熱性能が許す範囲で1時間定格よりも高く設定でき、運用上の実効出力差はより大きなものとなる。
  23. ^ クハ6 - 8についてはラッシュ時等の客車併用時に備え、モハ50形と同様、下津井寄りにバッファ付きねじ式連結器を併設した。
  24. ^ この時代の機械式気動車の場合、先頭車の運転台から各車に対して総括制御を行う手段が存在せず、各車に乗務した運転士が先頭車から送られるブザーの合図に合わせて変速などの操作を実施していた。このためタイミングがずれると大きな衝動が各車間に発生し、また最悪の場合にはエンジンストップに至ることもあった。
  25. ^ このほか、両社共に電化時に貨物用のみならず客車牽引を考慮した設計の電気機関車を導入しており、そのコンセプトは旧態依然のままであった。
  26. ^ ナニワ工機NK-91。
  27. ^ 鮮魚台を含めたモハ50の全長とほぼ同一である。
  28. ^ この内モハ101・102については使用頻度が極端に低かった下津井方運転台の撤去による片運転台化が先行して実施されている。
  29. ^ 路線短縮前はモハ102-サハ3-クハ22で固定編成となっており、短縮時にモハ104-サハ2-クハ25との間で中間車の入れ替えが実施されている。
  30. ^ 各車間の連結器は棒連結器であったが、サハ2201には列車運行上必要な機器は一切搭載されておらず、抜き取り可能であった。
  31. ^ 下津井電鉄は直流600Vで終始したが、北勢線をはじめとする三重交通由来の近鉄特殊狭軌線群はいずれも直流750Vに昇圧されており、下津井2000系を北勢線で使用するには、ATS関連機器や列車無線の搭載のほか、主電動機・主制御器・SIVなどを750V対応に改造する必要があった。


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