初期/ブルースロック、ピーター・グリーン時代
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「フリートウッド・マック」の記事における「初期/ブルースロック、ピーター・グリーン時代」の解説
1967年、「ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ」のメンバーだったピーター・グリーン(ギター)とミック・フリートウッド(ドラム)を中心に、ボブ・ブラニング(英語版)(ベース)、ジェレミー・スペンサー(英語版)(ギター)の4人で活動を開始する。数回のギグの後、ブランニングに変わってジョン・マクヴィー(ベース)が加入。初期のバンド名は「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(英語: Peter Green's Fleetwood Mac)」。グリーンによるギブソン・レスポールの音を前面に出し、当時イギリスで勃興していたブルース・ロックのブームに乗って活動を開始した。 1968年2月に、初のアルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』をリリースして注目を浴びる。さらに同年に録音したシングル「ブラック・マジック・ウーマン(英語版)」(後にサンタナにカバーされて大ヒットしている)を世に送り出し、8月には2ndアルバム(アメリカにおけるファースト・アルバム)の『ミスター・ワンダフル』をリリースしている。更にグループは18歳のダニー・カーワン(英語版)(ギター)を加入させ、グループ初期における最高のラインナップを整える。トリプル・ギター編成のバンドは当時としては奇抜なアイデアで、グリーンとグループが思い描く、常にサウンドの変化に対応できる体制となると共に、同年、リトル・ウィリー・ジョンが1956年にアメリカでヒットさせた「ニード・ユー・ラヴ・ソー・バッド」をカヴァーし、全英シングルチャートに送り込んだことで注目を集める。 カーワン加入後の同年11月、シングル「アルバトロス (あほうどり)」を発表。「アルバトロス」は翌1969年に全英シングルチャートで1位を記録した。ついでアメリカ向けに編集した2ndアルバム『英吉利の薔薇(英語版)』をリリース。 1969年1月には渡米して、ブルースの故郷とも言えるシカゴのチェス・スタジオで念願のレコーディング。ウィリー・ディクスンやバディ・ガイ、オーティス・スパンと共演して記念版的作品として残している。同年にはこのメンバーでの最後のブルース・アルバムとも言える3rdアルバム『ゼン・プレイ・オン(英語版)』をリリースしている。
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