写実主義/自然主義/高踏主義(1881-1902)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 00:54 UTC 版)
「ブラジル文学」の記事における「写実主義/自然主義/高踏主義(1881-1902)」の解説
ブラジルにおけるロマン主義は1871年のカストロ・アウヴェスの死によって終りを遂げ、1881年に発表されたマシャード・デ・アシスの『ブラス・クーバス死後の回想』(1881)によって本格的な写実主義が導入された。貧しいムラートの出身からジャーナリスト、公務員と遍歴を重ね、『ブラス・クーバス死後の回想』(1881)、『ドン・カズムーロ』(1899)などのブラジル文学史に残る傑作を著した。その他にも『寄宿学校』(1888)で印象主義小説を展開したラウル・ポンペイアの名を挙げることができる。 ヨーロッパでは写実主義の延長上に自然主義が生まれたが、ブラジルの自然主義はアルイジオ・アゼヴェード(ポルトガル語版、英語版)の『オ・ムラート』(1881)の発表によって導入された。アゼヴェードは文学の中で社会告発を行い、『百軒長屋』(1890)でリオのコルチッソ(スラム)を描いた。 高踏主義は1922年の「近代芸術週間」開催までブラジルの文壇を牛耳った。ギリシア、ローマ的な題材と形式主義を重視した高踏主義からは熱狂的愛国詩人のオラーヴォ・ビラックや、アルベルト・デ・オリヴェイラ、ライムンド・コレイアの「3羽ガラス」が文壇に影響力を及ぼした。
※この「写実主義/自然主義/高踏主義(1881-1902)」の解説は、「ブラジル文学」の解説の一部です。
「写実主義/自然主義/高踏主義(1881-1902)」を含む「ブラジル文学」の記事については、「ブラジル文学」の概要を参照ください。
- 写実主義/自然主義/高踏主義のページへのリンク