健康の快復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 14:39 UTC 版)
「リチャード・モントゴメリー」の記事における「健康の快復」の解説
イギリスでモントゴメリーは健康を快復させた。アメリカ植民地の政治的自由度に関する要求を概して支持していたイギリスの議会におけるホイッグ党議員と親交を持った。モントゴメリーはホイッグ党の著名議員のなかでもアイザック・バーレ、エドマンド・バークおよびチャールズ・ジェイムズ・フォックス等と友人になった。イギリスにいる間はこれら3人との政治談議でその時間の多くを費やした。モントゴメリーはイギリス政府の政策に疑問を持つようになった。1768年、第17歩兵連隊がイングランドに戻ると、モントゴメリーは徴兵活動を始めた。それをやる前にモントゴメリーの中隊は17名がいるに過ぎなかった。モントゴメリー自身も従軍したが、その財政状態が思わしくなく、従軍できなくなった。 1771年にモントゴメリーの昇進が見送られた。これはその政治的指向のためだったと考えられる。モントゴメリーはその任官を約1,500ポンドで売却し、1772年に軍隊を離れた。その後科学機器(顕微鏡、晴雨計、湿度計)、測量機器および製図器を購入し、その年7月にアメリカに旅立った。モントゴメリーは結婚しないことや2度と武器を取らないことを決めており、農業経営者になることにした。
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