信長から黒田家の重宝へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 15:45 UTC 版)
「へし切長谷部」の記事における「信長から黒田家の重宝へ」の解説
その後、同刀は織田信長から羽柴秀吉の所有を経て黒田長政に下賜されたとも、織田信長が直接黒田長政に授けたとも、黒田孝高(黒田長政の父)が小寺政職の使者として織田信長に面会した折、中国攻めの策を提言した褒美として織田信長から黒田孝高に与えられたとも伝えられ、文献や史料ごとに伝承の異同はあるものの、以後福岡藩主黒田家に家宝として伝来した。 江戸時代中期、徳川8代将軍徳川吉宗が本阿弥家に命じて編纂させた名刀の目録である『享保名物帳』には長谷部派の作品として唯一掲載されており、有銘無銘を通じて比肩すべき物のない、同派を代表する傑作と評される。
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