伊東義祐とは? わかりやすく解説

伊東義祐(いとう よしすけ) 1512~1585

○虎熊丸 六五郎 祐清 昭眼 三位入道 修理大夫 大膳大夫
◇父:伊東大和守尹祐 室:河崎某女、福永女 子伊東虎丸、義益、祐兵 養子伊東祐青
 日向伊東氏10代当主。兄祐充の死後1536年当主となり、弟祐吉擁立派との内紛荒れた家中をまとめる。豊後大友氏後ろ盾再三薩摩島津氏と争うが、1577年敗れて大友氏元に走り大友氏耳川大敗後は伊予逃れた最期は堺まで流浪して74歳で没。

伊東義祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 02:11 UTC 版)

伊東 義祐(いとう よしすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将日向国戦国大名日向伊東氏11代(伊東氏16代)当主。伊東祐充祐吉は同母兄弟。




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