仙台陸軍予備士官学校とは? わかりやすく解説

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陸軍予備士官学校 (日本)

(仙台陸軍予備士官学校 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 13:42 UTC 版)

陸軍予備士官学校(りくぐんよびしかんがっこう、英語: Imperial Japanese Army Reserve Officers’ Cadet School)は、日本陸軍軍学校の一種である。主として兵科予備役将校となる甲種幹部候補生への集合教育を行った。1938年(昭和13年)8月に1校が、翌年以降は複数校が設置され、太平洋戦争大東亜戦争)終結まで存在した。1944年(昭和19年)10月より特別甲種幹部候補生への集合教育を行った。


注釈

  1. ^ 本記事では便宜上、特に「兵科」または「各部」の表記がない場合に「将校」は「兵科将校」および「各部将校」(1937年2月までは「各部将校相当官」)の両方を意味することとする。
  2. ^ 他に操縦候補生などがあった。「御署名原本・昭和十年・勅令第二六四号・陸軍補充令中改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022003200 
  3. ^ 乙種幹部候補生は予備役下士官となる教育を受けた。
  4. ^ 陸軍の現役兵または下士官として在営中に陸軍予科士官学校の召募試験に合格し、入校した生徒も一部にはいた。
  5. ^ 少尉候補者学生教育が陸軍予科士官学校で行われたのは1937年から1940年の間である。「御署名原本・昭和十五年・勅令第六八九号・陸軍士官学校令中改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022508900 
  6. ^ 官衙(かんが)とは一般には官庁あるいは役所を意味する。陸軍の官衙には東京中心部に置かれた陸軍省などのほか、兵器廠や各地の連隊区司令部、陸軍病院なども含まれる。『陸軍読本』58-68頁
  7. ^ 「当分ノ内甲種幹部候補生ニ対スル陸軍予備士官学校ニ於ケル教育ハ之ヲ陸軍教導学校、陸軍歩兵学校又ハ陸軍大臣ノ定ムル輜重兵連隊ニ於テ行フコトヲ得」「御署名原本・昭和十三年・勅令第一三七号・陸軍補充令中改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022181500 
  8. ^ この年の採用者は7か月と陸軍補充令改正で定められていた。
  9. ^ 「仙台陸軍予備士官学校」が設置されるのは1943年8月の陸軍予備士官学校令改正による。
  10. ^ 移転先の教導学校内でも予備士官学校とは別に幹部候補生隊を組織し、甲種幹部候補生の集合教育が行われた
  11. ^ 盛岡校は下士官候補者の分遣教育施設としても利用されている。「昭和15年「密大日記」第4冊(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01004752900 
  12. ^ 戦車兵はそれまで歩兵科の中の兵種のひとつであった。
  13. ^ 陸軍では兵科別に列記する場合、歩兵、騎兵、砲兵、工兵、航空兵、輜重兵の順とすることが慣例であった。久留米第二校は従来から久留米にあったが輜重兵教育の学校であり、久留米第一校は新たに設置されたが歩兵と砲兵の教育をする学校であった。
  14. ^ 1944年10月入校と1945年1月入校に分けられた。「陸密綴昭和20年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01007865000 

出典

  1. ^ a b 御署名原本・昭和十三年・勅令第一三七号・陸軍補充令中改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022181500 
  2. ^ a b c 御署名原本・昭和十三年・勅令第一三九号・陸軍予備士官学校令(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022181700 
  3. ^ 御署名原本・昭和十三年・勅令第七四四号・陸軍士官学校令中改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022242200 
  4. ^ 1941年(昭和16年)に埼玉県朝霞町へ移転。
  5. ^ 御署名原本・昭和十二年・勅令第一一一号・陸軍予科士官学校令(第五百六十七号ヲ以テ本号中改正)(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022090300 
  6. ^ a b 昭和14年「密大日記」第1冊(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01004561300 
  7. ^ 昭和16年 「陸支密大日記 第39号 3/3」(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C04123344000 
  8. ^ a b 昭和16年 「陸支密大日記 第37号 3/3」(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C04123333300 
  9. ^ a b c 『学徒兵と婦人兵ものしり物語』115頁
  10. ^ a b 教育総監部状況説明資料(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03032192200 
  11. ^ 陸軍北方部隊略歴(その1) 関東直轄部隊(1頁~180頁) 第1方面軍(191頁~420頁)(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12122425300 
  12. ^ 『官報』第3479号、1938年8月8日
  13. ^ 昭和13年「密大日記」第2冊(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01004416400 
  14. ^ 『官報』第3669号、1939年3月31日
  15. ^ 陸軍予備士官学校」 アジア歴史資料センター Ref.C01004564900、昭和14年「密大日記」第1冊(防衛省防衛研究所) 
  16. ^ 昭和15年「密大日記」第12冊(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01004849300 
  17. ^ 昭和16年 陸(支満)密綴 第5研究所(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C08030009500 
  18. ^ 御署名原本・昭和十四年・勅令第五一七号・陸軍予備士官学校令中改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022386400 
  19. ^ 昭和14年 「乙輯 第2類 第1冊 土地建物」(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01007170300 
  20. ^ 『官報』第3778号、1939年8月9日
  21. ^ 『官報』第4165号、1940年11月22日
  22. ^ 『官報』第3792号、1939年8月25日
  23. ^ 『官報』第3822号、1939年9月29日
  24. ^ a b 『全陸軍甲種幹部候補生制度史』180頁
  25. ^ 御署名原本・昭和十五年・勅令第四八三号・陸軍予備士官学校令中改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022488300 
  26. ^ 御署名原本・昭和十五年・勅令第五八〇号・昭和十二年勅令第十二号(陸軍武官官等表)改正(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022498000 
  27. ^ 昭和15年 「乙輯 第2類 第1冊 建物」(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01002366300 
  28. ^ 御署名原本・昭和十六年・勅令第七四六号・陸軍予備士官学校令中改正ノ件(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022624900 
  29. ^ 『全陸軍甲種幹部候補生制度史』177頁
  30. ^ 昭和16年 「陸支密大日記 第34号 2/3」(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C04123298100 
  31. ^ 御署名原本・昭和十八年・勅令第二二一号・陸軍部内ニ於ケル教育整備ノ為ニスル陸軍航空士官学校令外六勅令中改正等ノ件(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022811500 
  32. ^ 御署名原本・昭和十九年・勅令第三二七号・陸軍兵科及経理部予備役将校補充及服役臨時特例(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03022287500 
  33. ^ 御署名原本・昭和二十年・勅令第四三三号・陸軍予備士官学校令外三勅令中改正ノ件(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A04017754100 
  34. ^ 環境省資料「勝央町の事案(岡山県33-2)平成15年」。https://www.env.go.jp/chemi/report/h15-02/33-2shoo.pdf
  35. ^ 大陸命綴 (終戦に関する書類) 昭和20年8月15日~20年8月21日 (第1381~1387号) (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C14060914200 
  36. ^ 連合軍司令部の質問に対する回答文書綴 学校 24/26(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.Ref.C15010082300 
  37. ^ 御署名原本・昭和二十年・勅令第六三二号・陸海軍ノ復員ニ伴ヒ不要ト為ルベキ勅令ノ廃止ニ関スル件(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A04017774000 
  38. ^ 御署名原本・昭和二十一年・勅令第三一九号・陸軍武官官等表等を廃止する勅令(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A04017827200 
  39. ^ a b 陸軍異動通報綴 暁2948部隊 昭18年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120890900 
  40. ^ a b 陸軍異動通報 3/6 昭19年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120909800 
  41. ^ a b 陸軍異動通報 4/6 昭19年7月1日~8月31日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120913500 
  42. ^ 『全陸軍甲種幹部候補生制度史』118頁
  43. ^ a b 陸軍異動通報 3/6 昭19年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120908900 
  44. ^ a b 『全陸軍甲種幹部候補生制度史』179頁
  45. ^ 陸軍異動通報 昭和19年12月26日~20年11月22日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120955200 
  46. ^ 陸軍異動通報 昭和19年12月26日~20年11月22日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120955700 
  47. ^ a b 陸軍異動通報 昭和19年12月26日~20年11月22日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120951300 
  48. ^ a b 陸軍異動通報 昭和19年12月26日~20年11月22日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120962400 


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仙台陸軍予備士官学校

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陸軍予備士官学校 (日本)」の記事における「仙台陸軍予備士官学校」の解説

仙台陸軍教導学校廃止され施設そのまま仙台陸軍予備士官学校が設置された。 原田棟 大佐1943年8月2日 - 1945年2月12日在職中少将進級宮脇幸助 大佐1945年2月12日 -

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