享保尺(竹尺)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 16:23 UTC 版)
曲尺で最も由緒正しいものであるという。しかし、この名は江戸時代のどの度量衡学者の著述にもあらわれてこない。初めて出てくるのは明治3年(1870年頃)である。その後に、この享保尺は古尺の正統を受け継いだものということに変わった。その説明によると、紀州の熊野神社に天平の古尺があった。将軍吉宗がこれを写し取らせて曲尺の正器と定め、司天台の測影用に用いたという。この尺は紅葉山宝庫(紅葉山文庫)にあって火災で焼失したが、書籍奉行(書物奉行)の近藤重蔵(諱は守重(もりしげ)、号は正斎)が模造していて、これを内田五観が持っていたので、大蔵省はこれを根拠にしたという。しかしこれ以外にはいかなる記事も見あたらず、狩谷棭斎も言及していない。上記の享保尺のいわれは、大蔵省度量衡改正掛の顧問役であった内田五観の作り話という疑いが濃い。
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