于山とは? わかりやすく解説

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于山島

読み方:うざんとう
別名:于山、우산도우산
英語:Usando

韓国歴史書太宗実録」などで記述されている島。于山島が現在でいうどの島に相当するのか、あるいは実在の島なのかどうかについては、竹島問題関連する主要な論点一つである。しかし、日本側と韓国側主張食い違い見られる

韓国側の主張によれば、于山島は現在の竹島独島)と同一の島であり、その主張従えば韓国古くから竹島独島)を自国領土として認識していたことになる。しかし、韓国古地図多くは于山島を鬱陵島の西や北に描いており、鬱陵島東南東、約90キロメートルにある竹島独島)とは位置面積形状など明らかに異なっていた。また、韓国側は「東国文献備考」などの文献根拠として挙げているが、それらの文献は、近年発見された「輿地志」の記述によると、信頼性乏し安龍福証言に基づくものだと考えられている。

日本側の主張では、「太宗実録」に見られる于山島は架空の島か、あるいは鬱陵島の約4キロメートル東方にある「竹嶼」だとする。「太宗実録」では、于山島に15戸の家、86人の住民がおり、按撫使が竹やなどを于山島から持ち帰ったとあるが、竹島独島)の環境には合致しない

1696年朝鮮漁民安龍福は、日本密航して鳥取藩捕らえられた際に、于山島が竹島独島)と同一の島であり、朝鮮領土であることを鳥取藩主直接認めさせたとされている。しかし、2010年神戸市立博物館発見された、安龍福時代古地図である「江原道図」は、于山島が「子山」として、鬱陵島のすぐ南側描かれている地図であり、安龍福主張覆す史料とされた。

于山島を架空の島とする主張の根拠としては、「太宗実録」で于山島の名が初め現れ1412年には、既に太宗による鬱陵島空島政策が行われていたことが挙げられている。当時鬱陵島住民本土移住するよう求められていたことから、「太宗実録」に証言掲載され白加勿らは、罪を逃れるために「于山島民」と名乗ったのだと考えられている。

関連サイト
竹島の認知 - 外務省
韓国が知らない10の独島の虚偽 第2回 - Web竹島問題研究所島根県



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