二股口の戦いとは? わかりやすく解説

二股口の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 03:41 UTC 版)

二股口の戦い(ふたまたぐちのたたかい、明治2年4月13日 - 4月29日1869年5月24日 - 6月9日))は、箱館戦争における戦闘のひとつである。箱館に通じる二股口に進撃する新政府軍に対して、旧幕府軍は台場山に胸壁と陣地を構築して小銃で防戦し、2週間にわたって新政府軍の進撃を阻止した。




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二股口の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 11:06 UTC 版)

箱館戦争」の記事における「二股口の戦い」の解説

土方歳三指揮下、衝鋒隊伝習隊からなる300名は、4月10日台場山(現・北斗市)に到着し二日がかりで16箇所胸壁構築新政府軍待ち構えた13日正午過ぎ、700名の新政府軍攻撃開始し対す土方軍は胸壁小銃防戦。数で勝る新政府軍は、次々と兵を入替え攻撃繰り返すが、土方軍はの中、2小隊ずつが交代小銃撃ち続けた。翌14日早朝新政府軍疲労困憊し稲倉石まで撤退した旧幕府軍が撃った弾丸は、35千発に及び、16時間にわたる激闘であった22日新政府軍再度攻撃試みるが、土方軍はこれも撃退23日午後新政府軍正攻法あきらめ急峻な山をよじ登り側面から小銃打ち下ろしてきた。そのまま夜を徹しての大激戦となる。24日未明には瀧川充太郎率い伝習士官隊が抜刀して敵中突進混乱する新政府軍敗走させる。それでも新政府軍次々と新しい兵を投入し旧幕府軍は熱くなった銃身水桶冷やしながら、小銃応戦し続けた25日未明、ついに新政府軍撤退。これ以降新政府軍二股口を迂回する道を山中切り開き始める。4月29日矢不来新政府軍突破されると、退路を断たれる危険があった土方軍は五稜郭への撤退余儀なくされる詳細は「二股口の戦い」を参照

※この「二股口の戦い」の解説は、「箱館戦争」の解説の一部です。
「二股口の戦い」を含む「箱館戦争」の記事については、「箱館戦争」の概要を参照ください。

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