事故の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 00:39 UTC 版)
菊竹六鼓は事故の様子を以下のように報じている。 同日、午後6時35分、篠栗行列車が黒煙をあげて進み来たりとき、少女は驚けり、線路に通行する人あると認めたり。かかるとき人と列車とに注意し警戒するは、正に少女が父と姉の当面の職務なりしなり。しかして、父と姉とにかわりてそのつとめにつきたりし少女が双肩の重任なりしなり。彼女は呼べリ、旗十字に振りたてて呼べリ、列車来たる!列車来たる!危険なり避けよ避けよと大声に呼べリ。しかれども何事ぞ、人はなお知らざるのごとし。列車は容赦なく轣轆として来る。今は猶予すべきにあらず、少女はたまりかね身を躍らして第三踏切より第四踏切に進み行けり。旗振りたてつつ小さき声を振り絞りつつ、大胆にも進み行きたるなり。列車来たる、危険なり避けよ避けよと旗振りたてつつ、小さき声を振り絞りつつ進み行きたるなり。 少女は人を危険より救わんとして、身の人よりもなおさらに危難に瀕せるを忘れたりしなり。否な、彼女は自己の危難を念とするにはあまりにも職務に忠実なりしなり、あまりに人を救わんとするに急なりしなり。 皇天に謝す。彼女が最後の一声はついに一人を惨死より救えり。しかれども何事ぞ、彼女は遂に職務に斃れぬ。 福岡日日新聞 明治38年6月22日 第1面 線路内に立ち入った通行人は無事であったが、お栄は即死であった。
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