事実上のサーマーン朝のアミール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 08:37 UTC 版)
「イスマーイール・サーマーニー」の記事における「事実上のサーマーン朝のアミール」の解説
イスマーイールはサーマーン・フダーを先祖に持つアフマド・イブン・アサドの子供として生まれた。サーマーン・フダーは、ゾロアスター教からイスラームへ改宗したとされる。 イスマーイールの兄であるナスルの統治時代に、ブハラを攻略し、ホラズムの支配からブハラを解放した。イスマーイールはブハラを拠点に活動を展開することとなった。イスマーイールはブハラから上がる税収を兄ナスルの元に送らなかったことから、兄弟間での対立が起きた。ナスルの権威はアッバース朝のカリフに依拠しており、アッバース朝もマー・ワラー・アンナフルの統治者をナスルと認識していたことから、イスマーイールは事実上の王朝の統治者として君臨せざるを得なかった。また、サッファール朝もマー・ワラー・アンナフルの支配を目論んでいたことも事実上の統治者として君臨せざるを得なかったこともある。 892年、兄ナスルが死亡したことにより、事実上から名実ともにサーマーン朝のアミールとなった。
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