主要都市におけるダダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:14 UTC 版)
チューリッヒ・ダダ(1915年頃-1920年頃) - 主要な参加者は、フーゴ・バル、ハンス(ジャン)・アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベック、マルセル・ヤンコ、トリスタン・ツァラ、ハンス・リヒター、ゾフィー・トイバー=アルプなど ニューヨーク・ダダ ベルリン・ダダ(1917年頃-1922年頃) - リヒャルト・ヒュルゼンベック、ジョージ・グロス、ジョン・ハートフィールド、ラウル・ハウスマン、ヨハネス・バーダー、ハンナ・ヘッヒ、ヴァルター・メーリング、ゲルハルト・プライス、ヴィーラント・ヘルツフェルデなど ケルン・ダダ(1917年頃-1922年頃) - マックス・エルンスト、ヨハネス・テオドア・バーゲルト[本名: アルフレート・グリューンバルト]、ハインリヒ・ホーレ ハノーヴァー・ダダ(1917年頃-1922年頃) - クルト・シュヴィッタース パリ・ダダ(1919年頃-1924年) - アンドレ・ブルトン、ジャン・クロッティ、ポール・エリュアール、バンジャマン・ペレ、フィリップ・スーポー、ルイ・アラゴン、ジョルジュ・リブモン=デセーニュ、ジャック・リゴー、テオドア・フラエンケルなど ダブリン・ダダ(1920年頃-1922年頃) - ダーモット・オライリーなど オランダ - テオ・ファン・ドゥースブルフを中心として「デ・ステイル」(1917年-1931年)が結成され、新造形主義を経て要素主義に至り、ロシア・アヴァンギャルドの影響を受けていたヴァルター・グロピウスに影響を与えることで、バウハウスを合理主義・機能主義(工業デザインや大量生産に合致するような方向)へと向かわせた。初期のIT産業に大きな影響を与えたフロッグデザインなども、バウハウスでのインダストリアルデザインを源流とするドイツ企業である。 ロシア - ロストフ・ナ・ドヌで文芸集団「ニチェヴォキ(ロシア語版)」が結成され、1922年にボリシェビキのプロパガンダ作成をしていたウラジーミル・マヤコフスキーに対してトベルスコイ通り(ロシア語版、英語版)のプーシキン像へ行って靴磨きを見るように勧め、「プーシキン運動」(Pampushka)を提案し、1923年のレフ (ロシア・アヴァンギャルド)結成に影響を与えた。マヤコフスキーはロシア・アヴァンギャルドの詩・文学を主導した。 ハンガリー - カシャーク・ラヨシュ(ハンガリー語版、英語版)、Déry Tibor、モホリ=ナジ・ラースロー、Barta Sándorなど。ネオアヴァンギャルド(ハンガリー語版)(ハンガリー・アヴァンギャルド)が派生し、バウハウスの教育(合理主義・機能主義)に影響を与えた。 オーストリア - H. C. Artmann、Friedrich Achleitner、Konrad Bayerなど。ヴィーナー・グルッペ(ドイツ語版、英語版)が派生。 日本(1921年-1925年 - 辻潤、清沢清志、高橋新吉、吉行エイスケ、MAVO(1923年-1925年)の柳瀬正夢、村山知義、尾形亀之助、大浦周蔵、門脇晋郎、高見沢路直(田河水泡)、『赤と黒』の萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、川崎長太郎、林政雄、小野十三郎など
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