中国式山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 18:50 UTC 版)
「中国式山城」または「大陸系山城」の名称は、文献に見えるも朝鮮式山城には属さない怡土城(福岡県糸島市)を指す。築城時期は朝鮮式山城(7世紀後半頃)から下る8世紀中頃で、その背景としては唐の安禄山の乱の影響に備えたとする説や、藤原仲麻呂による新羅征討計画の拠点とする説などがある。ただし、後者の新羅征討計画は実行に移されることはなかった。この怡土城の築城では、吉備真備が入唐時の知識を活かしたと見られている。遺構としては土塁・望楼跡・城門跡などが見られる。 朝鮮式山城が攻撃相手に城内を見せない構造を採るのに対して、怡土城では山の斜面にたすき状に築き城内を見通される構造を採るなどの特徴があり、攻撃的性格の強い城とされる。
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