三里塚闘争への支援活動
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「共産主義者同盟 (戦旗派)」の記事における「三里塚闘争への支援活動」の解説
三里塚闘争では、1983年の空港反対同盟分裂後は、荒派は第四インターらと熱田派を支援し、西田派は中核派らと北原派を支援した。1988年の警察白書(昭和63年)では、「戦旗・荒派および戦旗・両川派は、成田闘争等への取組の中で現在も『ゲリラ』事件を引き起こしており、両派の勢力は戦旗・荒派が約700人、戦旗・両川派が約400人」と記載された。 なお、比較的穏健な熱田派系にあって武力闘争を展開する異色の存在であった荒派は、北原派にも同調的であった反面、対話路線が大勢となった熱田派の主流とは溝が深まっていった特に決定的であったのは、1989年の芝山町長選挙に熱田派から相川勝重が立候補した際に空港絶対反対を表明しなかったことを「話し合い路線へ転落」などと批判したことであり、熱田派は同年7月20日に荒派との絶縁を決めた。以来荒派はシンポジウムなどに取り組む熱田派事務局を公然と批判しながら「三里塚二期阻止・土地収用を許さない全国運動」を旗揚げし、熱田派の中でも徹底抗戦を主張する長老派を支援する形で三里塚闘争を継続した。 かつて戦旗派に所属していた深笛義也は、2020年にイカロス出版が出した『空港をゆく』への寄稿で、「何を考えているのか知るために、農民の会議を盗聴せよ」という本部の指令が常駐隊に出されていたことや荒派が中核派からの内ゲバを恐れていたというエピソードを紹介しながら、闘争の本質が農民支援から離れていった実態を語っている。
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