三輪茂雄による構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 05:56 UTC 版)
「琴引浜鳴き砂文化館」の記事における「三輪茂雄による構想」の解説
1971年(昭和46年)末、粉体工学の研究者である三輪茂雄は、網野町出身の学生から網野町にも鳴き砂があることを聞いた。1976年(昭和51年)には、琴引浜に遊歩道を建設する計画が新聞で報じられたため、三輪は網野町長に対して公開質問状を提出した。町長宛の質問状には、遊歩道を建設し海水浴客を誘致することで鳴き砂の環境が破壊されること、水路が変わり土砂が流入することなどを挙げ、網野町の鳴き砂を海岸全体を含めた天然記念物として保護して欲しい旨が書かれていた。必要ならば説明に赴くと書いたところ、町長から来て欲しいと連絡があり、学生と共に網野町を訪れた。三輪は網野町の琴引浜を高く評価した上で、1995年(平成7年)時点では環境汚染が進んでいたために、発音特性を回復する手段を研究するデータ収集と、観光客への鳴き砂教育機能を備えた公的機関の設立を望んだ。
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