三河山本氏とは? わかりやすく解説

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三河山本氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 08:32 UTC 版)

三河山本氏(みかわやまもとし)は、日本氏族三河国山本氏を称する土豪(あるいは小領主)。三河牧野氏の家臣となった山本氏は、これを先祖とする越後長岡藩家老家の山本氏となった。海軍元帥・山本五十六北越戦争戊辰戦争で当主が戦死した同家を同藩藩士の高野家より養子入りして継いだ事でも知られる[注釈 1]江戸幕府では、直参旗本の身分・山本氏にも先祖を三河発祥とするものがある。


注釈

  1. ^ また同家の家伝は山本勘助弟・帯刀(帯刀左衛門)の末裔とする。
  2. ^ 現在の富士宮市山本。
  3. ^ あるいは同地の神社の祝詞職になったとする伝承もある。
  4. ^ 現・千葉県佐倉市
  5. ^ 盛本昌宏は(盛本 1999)でこの山本帯刀の実名を頼重と記す。この実名に関して『改正三河後風土記』には山本帯刀成行は一本に山本頼重、また山本勘助の弟であるとも註す。
  6. ^ 『平成新修長興寺誌』によれば稲垣重宗の墓そばに造られたとあり、現在は五輪塔一基が供養塔として存在する。寺史はこの山本帯刀(成行)が稲垣氏からの養子であったことの由縁からと指摘し、また同寺の稲垣氏古霊簿にも山本夫妻の法名が記載されていると述べている。

出典

  1. ^ 上野 2006, pp. 71 - 72.
  2. ^ a b 『甲斐国志』人物部の山本勘助に関する、上野晴朗の引例記述による[1]
  3. ^ 上野 2006, pp. 93 - 100.
  4. ^ 寛政重修諸家譜』、稲垣長茂の項。
  5. ^
    天文8年、三河国牛久保に生る。のち牧野成定に属し、数度の戦いに功あり。今川氏真により、成定に書を贈りて、長茂が軍功無双なり。いよいよ勇を励ますべきむね褒美す。永禄八年成定、東照宮の御麾下に属したてまつるにより、長茂および、牧野半右衛門康成、岩瀬治部氏俊、岩瀬掃部氏則、山本帯刀某五人、岡崎に召されて、御家人に列す
    —『寛政重修諸家譜 巻第384』の稲垣長茂に関する記述より引用
    ここで言う御家人という用語は、江戸幕府設置後の制度でいう御家人ではなく、単に家臣あるいは家来程度の意味である。
  6. ^ 今泉 1968, pp. 176-177.
  7. ^ 続群書類従完成会 1994, p. 233.
  8. ^
    晦日・丙申、歳暮音信岡崎本作左、(ひ)ろう本田豊後、山本帯刀・内平左へこし候
    —『家忠日記』[7]
  9. ^ 盛本 1999, p. 183
  10. ^ 有鷲山長興寺 1991, p. [要ページ番号].
  11. ^ 今泉 1968, pp. 171-172, §. 第2節家老五家・家老.
  12. ^ 堀田 1964a, p. [要ページ番号].
  13. ^ 『三河国宝飯郡誌』
  14. ^ 大久保 1987, p. 169.
  15. ^ 早川 & 近藤 1980, p. [要ページ番号].


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