三河山本氏
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三河山本氏(みかわやまもとし)は、日本の氏族。三河国の山本氏を称する土豪(あるいは小領主)。三河牧野氏の家臣となった山本氏は、これを先祖とする越後長岡藩家老家の山本氏となった。海軍元帥・山本五十六は北越戦争・戊辰戦争で当主が戦死した同家を同藩藩士の高野家より養子入りして継いだ事でも知られる[注釈 1]。江戸幕府では、直参旗本の身分・山本氏にも先祖を三河発祥とするものがある。
注釈
出典
- ^ 上野 2006, pp. 71 - 72.
- ^ a b 『甲斐国志』人物部の山本勘助に関する、上野晴朗の引例記述による[1]。
- ^ 上野 2006, pp. 93 - 100.
- ^ 『寛政重修諸家譜』、稲垣長茂の項。
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「天文8年、三河国牛久保に生る。のち牧野成定に属し、数度の戦いに功あり。今川氏真により、成定に書を贈りて、長茂が軍功無双なり。いよいよ勇を励ますべきむね褒美す。永禄八年成定、東照宮の御麾下に属したてまつるにより、長茂および、牧野半右衛門康成、岩瀬治部氏俊、岩瀬掃部氏則、山本帯刀某五人、岡崎に召されて、御家人に列す」 —『寛政重修諸家譜 巻第384』の稲垣長茂に関する記述より引用 - ^ 今泉 1968, pp. 176-177.
- ^ 続群書類従完成会 1994, p. 233.
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「晦日・丙申、歳暮音信岡崎本作左、(ひ)ろう本田豊後、山本帯刀・内平左へこし候」 —『家忠日記』[7] - ^ 盛本 1999, p. 183
- ^ 有鷲山長興寺 1991, p. [要ページ番号].
- ^ 今泉 1968, pp. 171-172, §. 第2節家老五家・家老.
- ^ 堀田 1964a, p. [要ページ番号].
- ^ 『三河国宝飯郡誌』
- ^ 大久保 1987, p. 169.
- ^ 早川 & 近藤 1980, p. [要ページ番号].
- 1 三河山本氏とは
- 2 三河山本氏の概要
- 3 豊川市御津町の山本氏
固有名詞の分類
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