万国博覧会での水産業との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:08 UTC 版)
「関沢明清」の記事における「万国博覧会での水産業との出会い」の解説
1873年(明治6年)1月ウィーン万国博覧会事務官として現地に渡ったが、この時スウェーデン・ノルウェー漁業館の展示を見て水産業の重要性に触れ、オーストリア農業館チャザーレ、イギリス派遣団事務官長フィリップ・カンリフ・オーウェン(英語版)に話を聞くも、8月病のため帰国した。 1875年(明治8年)5月フィラデルフィア万国博覧会事務官として渡米すると、早速アメリカ政府委員スペンサー・フラトン・ベアードに水産業に関する詳しい話を求めた。ベアードの紹介で10月25日から31日にかけてリヴィングストン・ストーンにニューハンプシャー州チャールズタウン(英語版)コールドスプリング養鱒場の案内を受け、人工孵化の技術を学んだ。 また、ブリティッシュコロンビア州での缶詰製造について真空化技術等を学び、シティ・オブ・トウキョウ号で12月26日横浜港に帰国した。
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