一夕会
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一夕会(いっせきかい)は、1929年(昭和4年)5月19日に日本陸軍内に発足した[1]、佐官級の幕僚将校らによる会合。陸軍士官学校14期生から25期生を中心に組織された。
- ^ 会の中心人物である岡村寧次の日記より。会員の一人である土橋勇逸が記した『軍服生活四十年の想出』には、一夕会は1927年(昭和2年)11月3日に発足し、会の名付け親は土橋勇逸で、概ね毎月一回開催することにし、常任幹事を清水規矩、土橋勇逸、武藤章にした、とある。
- ^ 1921年(大正12年)のバーデン=バーデンの密約のメンバーである永田、小畑、岡村とその後参加した東條、河本、板垣らを中心に、陸軍士官学校15期から18期の卒業生のエリートが中心に結成された会。名称は、1927年(昭和2年)から定期的に会合を持つようになった場であるフランス料理店二葉亭に由来するという(大江志乃夫『張作霖爆殺』33-35頁)。
- ^ 会の顧問格であったとされ、永田と小畑の意見対立を未然に調停できる人物であったとされる。1929年8月に飛行機事故により死去。
- ^ 荒木貞夫の腹心の退役軍人。シベリア出兵の時の方針上をめぐって田中義一(当時は陸軍大臣)と対立した結果、陸軍を去っていた。軍上層部との連絡役であったとされる。
- ^ 日ソ不可侵条約と東支鉄道買収について永田は賛成し、小畑は反対するといった具合であった。
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