ローマ建設と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 18:28 UTC 版)
二人は野心を持っており新たな都市の建設を希望した。この計画をヌミトルも支援したといい、アルバの人々の一部や仲間の牧夫たちを連れて二人は自分たちの育ったパラティヌスへ向かった。 ここでレムスとロームルスの間で争いがおこった。レムスは新都市の場所としてアウェンティヌスを望み、ロームルスはパラティヌスを主張した。また都市の名前をローマとするかレモラとするかの名祖を巡って、さらにどちらが王になるかでも対立が生じた。 この争いは鳥占い(アウスピキウム)で決することとなった。ロームルスはパラティヌスで、レムスはアウェンティヌスで鳥を待った。ロームルスはレムスを欺き、自分がすでに鳥を見つけたとレムスに伝えこちらへ呼ぶようアウェンティヌスに使いを送った。しかしこの報告を聞く前にレムスはローマでは瑞兆とされていた6羽のハゲタカを見つけた。その後レムスがパラティヌスへ赴いたときになってロームルスは12羽のハゲタカを見つけた。 見つけた時間か数かでやはり争いとなり、この乱闘の中でレムスは殺害されたという。 より知られた伝承では、鳥占いののちロームルスがパラティヌスに城壁を築き始めたところ、これをレムスが嘲り飛び越えたのでロームルスが殺害したという。ポメリウムと呼ばれる都市の境界は聖域とされており、これをまたぐことは重大な冒涜と考えられていた。 また別の伝承では作りかけの城壁を越えたレムスを殺したのはケレルという男だったという。 18歳で死んだレムスはアウェンティヌスに埋葬され、その場所は「レモリア」と呼ばれたという。
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