ラコタ共和国
ラコタ共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 08:34 UTC 版)
2007年12月、ラコタ諸部族は“アメリカ合衆国政府は独立地域であることを保障する条約を締結以来150年にわたって遵守していない、もはや限界である”として条約の破棄とラコタ共和国としてアメリカからの独立を宣言。独立国であることの承認を求める書簡をボリビア、ベネズエラ、チリ、南アフリカ共和国などに送付するとともに国務省にも宣言書を提出した。オグララ族は1973年の「ウーンデッドー・ニー占拠抗議」の際にも独立宣言を行っている。2009年現在、正式な条約破棄は行っていない。 「ラコタ共和国」の青写真自体は、アメリカ連邦政府が1868年に「第二次ララミー砦条約(英語版)」で、サウスダコタのほぼ全域を覆う「偉大なるスーの国(グレート・スーネイション)」として、スー族に対し、連邦条約で保障したものである。つまり、ラコタ族は合衆国が一方的に無いものとしたこの条約の条項を、「実行します」と宣言しているのである。
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