モリワキエンジニアリング創業後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/09 03:19 UTC 版)
「森脇護」の記事における「モリワキエンジニアリング創業後」の解説
創業当初はアメリカに渡ったヨシムラ製品の取り扱いが主であったが、平行して独自のチューニング、パーツの作成を始める。レースにも関わっていき、1977年にはオリジナルフレーム採用第一号車ME125Wが完成、1978年にはカワサキ・Z1の補強版フレームを作製するなど、それまでの試行錯誤の中で蓄積されたノウハウを遺憾なく発揮していった。また、モリワキとしても、この補強版フレームのZ1、オリジナルフレームを採用したカワサキ・Z650で78年開催の第一回鈴鹿8時間耐久ロードレースに参加し、グレーム・クロスビー/トニー・ハットン組の搭乗するZ1が決勝3位という結果を残した。森脇は翌年以降もレースに関わり、世界初のアルミフレームやモンスターマフラーといった、かつて無い製品を発表、モリワキとしてもレースに積極的に参加するなど、日本のバイクシーンにおいて欠かせない存在となっていった。また、非常に先見の明、人を見る目があり、革新的なパーツを世に送り出したのみならず、多くのライダーの才能を見抜き、のちにワールドチャンピオンにまで登り詰めたワイン・ガードナーをはじめ、八代俊二、ピーター・ゴダードら多くの有力なレーサーを見出し、モリワキレーシングから輩出している。 その後も森脇は、技術者、指導者としてマシンやパーツの開発、またライダーを始めとするアスリート、人材の育成を精力的に行い、モリワキもレースに参加し続け、2003年には世界最高峰クラスのMotoGPクラスにも挑戦した。
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