ミラン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:55 UTC 版)
2008-09シーズン 2008年7月、ロナウジーニョはマンチェスター・シティFCからの移籍金2550万ポンドのオファーを拒否し、イタリア・セリエAのACミランと3年契約を結んだ。年俸は約510万ポンド(650万ユーロ)であり、移籍金は約1450万ポンド(1850万ユーロ)と考えられている。希望の背番号10は既にクラレンス・セードルフが着けていたため、生まれ年の1980年に因んで背番号80を選んだ。9月28日、インテルとのミラノ・ダービー (1-0) で初得点を挙げた。10月19日のUCサンプドリア戦 (3-0) では初の1試合2得点を記録した。11月6日、UEFAカップグループリーグのSCブラガ戦では93分に決勝点を挙げた。2008-09シーズンは全大会を通じて32試合に出場して10得点した。良好なスタートを切った後、コンディション不良に苦しんで途中出場が多くなり、ACミランでの初年度は失望に終わった。 2009-10シーズン 2009-10シーズン序盤はベンチから試合開始を迎えることも多かったが、その後調子を取り戻し、攻撃的ミッドフィールダーから馴染み深い左ウイングに役割を変え、このシーズンのチームの最優秀選手と言ってもよい活躍を見せた。2010年1月10日、アウェーでのユヴェントスFC戦 (3-0) では2得点を挙げた。翌週の1月17日に行われたシエナ戦 (4-0) では、1点目をペナルティキック、2点目をコーナーキックからのヘディングシュート、3点目を20ヤードの距離からのミドルシュートで決め、移籍後初のハットトリックを達成した。1月16日には移籍後初めてのUEFAチャンピオンズリーグの試合となるマンチェスター・ユナイテッドFC戦に出場し、序盤に得点してリードを得たが、ポール・スコールズとウェイン・ルーニー(2点)に得点を許して最終的に2-3で敗れた。4月13日、カルチョ・カターニア戦 (2-2) でマルコ・ボリエッロの得点をアシストし、アシスト数はリーグトップの14に達した。5月15日にはホームでのユヴェントス戦 (3-0) で2得点を記録し、ライバル相手に1シーズンで計4得点を記録した。この試合はレオナルド監督のACミラン監督としてのラストマッチとなった。なお、2008-09シーズンもペナルティキックを1度失敗していたが、2009-10シーズンは3度もペナルティキックを失敗している。 2010-11シーズン 2010年夏にマッシミリアーノ・アッレグリ監督が就任し、4-3-3フォーメーションではなく主に4-3-1-2フォーメーションが採用された。2010-11シーズン開幕戦のUSレッチェ戦 (4-0) ではキレの良いプレーを見せたが、役割が変更になると徐々にフェードアウトし、シーズン前半戦は11試合出場無得点に終わった。
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