ミラマーレ城とは? わかりやすく解説

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ミラマーレ‐じょう〔‐ジヤウ〕【ミラマーレ城】


ミラマール城

(ミラマーレ城 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/17 23:55 UTC 版)

ミラマール城ドイツ語: Schloss Miramareイタリア語: Castello di Miramare)は、現在のイタリア共和国トリエステ近郊にあるハプスブルク家城館[1]。1856年から1860年にかけて、当時はオーストリア領であったこの地に、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟であるマクシミリアン大公(のちにメキシコ皇帝)によって築かれた。設計はオーストリアの建築家、カール・ユンカーによる[2]


  1. ^ a b Miramare Biosphere Reserve, Italy” (英語). UNESCO (2019年4月8日). 2023年2月17日閲覧。
  2. ^ 池上英洋 『美しきイタリア 22の物語』光文社、2017年、92頁。ISBN 978-4-334-04303-2 
  3. ^ a b 須永(1986) p.160


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ミラマーレ城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 14:27 UTC 版)

トリエステ」の記事における「ミラマーレ城」の解説

詳細は「ミラマール城」を参照ミラマール城」とも。オーストリア大公で、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世実弟マクシミリアンの元で働いていたカール・ユンケルが、1856年から1860年の間に建てた付属庭園は、マクシミリアン命令集められ植えられ多種多様な樹木を持つ。2つの池を含む庭園内には、ハクチョウハスの花、マクシミリアンブロンズ像近くカステレット小さな礼拝堂マクシミリアンメキシコ向かって出航した艦船ノヴァーラ号の遺物である十字架保存)がある。トリエステ自由地域属していた頃、城はアメリカ軍の駐トリエステ・アメリカ軍本部置かれていた。

※この「ミラマーレ城」の解説は、「トリエステ」の解説の一部です。
「ミラマーレ城」を含む「トリエステ」の記事については、「トリエステ」の概要を参照ください。

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