マコーリー・シェンカー・グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 07:32 UTC 版)
「ロビン・マッコーリー」の記事における「マコーリー・シェンカー・グループ」の解説
彼のキャリアにおいて良かれ悪しかれ最も大きなターニング・ポイントとなったのは、マイケル・シェンカーと結成したバンドでの活動である。マイケル・シェンカーと関わり合った人間の大半がそうなったように、彼もまたマイケル・シェンカーとの活動では得られたものもあれば失ったものもあった。 ともかく知名度が上がったという点では、マイケル・シェンカーとの活動は彼にとってメリットになったであろうし、制作されたアルバムはいずれもなかなか上質なハード・ロックであった。しかしマイケル・シェンカーという、ある種の人間にとって絶対不可侵のカリスマ(当時)との双頭バンドを組んでしまった彼には、マコーリー・シェンカー・グループに対する音楽的な面での批判のほぼ全てが向けられることとなったのである。[要出典]この点は明確に彼にとってのデメリットであった。というのも、現在でもある種のハード・ロック・ファンから彼は「マイケル・シェンカーと組んでいた低能なシンガー(の一人)」と見なされ続けているのだ。[要出典] だが、マイケル・シェンカーに関わったシンガーでこのような目に遭わなかった人間はごく少ない。グラハム・ボネットとフィル・モグ、クラウス・マイネの3人だけと言っても良いほどである。[要出典]言ってみれば、マイケル・シェンカーと同等かそれ以上のメジャーなキャリアを持つシンガー以外は必ず辿る道なのである。
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